
たけむら・こうたろう 1945年生まれ。70年東北大学大学院修士課程修了(土木工学)、旧建設省入省。河川局長を最後に退官。建設省在籍時から島陶也のペンネームでインフラを軸とした歴史上の仮説などを発表。『日本史の謎は「地形」で解ける』など著書多数。(撮影:梅谷秀司)
地形から歴史の謎に迫る竹村史観の原点は、歌川広重の浮世絵だった。そこには江戸の水事情からエネルギー問題、防災対策、住民運動までが透けて見える。鮮やかな推理を楽しもう。
吉原の遊郭には下水があり 幕末は燃料枯渇の一歩前
──なぜ広重なのでしょう。
日本の堤防の99%は江戸時代までに築かれています。幕藩体制で膨張を禁じられた大名は、領地内での流域開発しかできなかった。河口部の低平地で、入り乱れる支川を堤防の中に強引に押し込めて1本にした。堤防外の肥沃な土地を開発した結果、大名たちは維新時に海外の武器弾薬を買えるほど豊かになりました。
明治以降に造られた堤防は荒川放水路、大河津分水路などわずかしかなく、河川行政に携わる以上、江戸期のことを知らないと話にならないのでいろいろ調べましたが、古文書は読めないし、古地図を見てもわからない。ある日、広重『名所江戸百景』の「真乳山山谷堀夜景(まつちやまさんやぼりやけい)」を見て、アッと思ったわけです。テーマは夜景なのに、手前に描かれた芸妓(げいぎ)が邪魔をしている。これを見て写真家、木村伊兵衛の「板塀」を思い出した。板塀の前を歩く馬の尻やしっぽが左端に残っている。通り過ぎてから撮ればいいのに、と思いますが、瞬間を切り取るのが木村さんの手法。
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