再建初年度に不採算により閉鎖した店数
創業家時代には閉店はタブー視されていたが、店舗運営コストの削減は必須で、収益が見込めない店舗は大胆に閉鎖した。
──債務超過になった年(18年)の11月に社長へ就任。火中の栗を拾うことになった当時の心境は。
金融機関との信頼関係が崩れ始めた時期。要求されていたのは財務体質の改善と会社を一からつくり直すこと。正直、放っておくと会社はダメになる状況だった。
本来であれば創業家が立て直すのだろうとの思いはあったが、金融機関から否定された。大株主の日本出版販売さん、大日本印刷さんも後方支援はするが、(新社長は)当社でどうにかしなさいと。
逃げてしまえば終わり。2500名の従業員を路頭に迷わすことはできない。当時財務担当だった私が引き受けることにした。
──動揺する全社員にどんな言葉を伝えましたか。
私は文教堂に20年いるが、この会社の弱点は常々感じていた。全社員に対してオープンな環境ではなかった。原因ははっきりわかっていたので、今どんな状況にあるか、どのような組織につくり直すか、最初にメッセージを出した。
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