史料に科学の光を当てると通説と違う“歴史"が現れる 船舶設計技術者 播田安弘氏に聞く

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はりた・やすひろ 1941年生まれ。父は造船所を経営、母の実家は船大工「播磨屋」の棟梁。三井造船に入社、大型船から特殊船まで設計。定年後は船の3Dイラストレーションを製作。映画『アルキメデスの大戦』では製図監修を担当し戦艦の図面をすべて手描きで作成。(撮影:梅谷秀司)
日本史サイエンス 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る (ブルーバックス)
日本史サイエンス 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る (播田安弘 著/講談社ブルーバックス/1000円+税/243ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。
1274年秋、元、高麗連合軍の大型軍船300隻、兵4万が突如博多湾に現れ、上陸。火器「てつはう」で武士を蹴散らし、筥崎(はこざき)宮を焼き払うが、夕方には軍船に戻り、未明に撤収してしまう。やれやれ。が、ちょっと待てよ。「ユーは何しに日本へ」。遺物、史料に科学の光を当てると、まるで違う文永の役が浮かび上がる。

文永の役で元軍は上陸に失敗、普通なら中国大返しは無理

──なぜ元寇の科学的検証を思い立ったのですか。

船舶の設計を職業に選んだように、艦船が好きなんです。以前から元寇に興味があり、蒙古軍船をCGで復元しようと思ったのが始まりです。ウェブで韓国の海洋博物館にある蒙古軍船の諸元、構造などを調べて設計復元しました。それを基に考えると、通説には技術的にありえない話が多いのです。

──まずは船から。

文永の役の船は蒙古に命じられた高麗が建造したが、当時の高麗の船は底が平たい箱船で、外航に不向き。それがある朝、300隻も現れるわけです。仕事で設計した船の試運転をしますが、プロペラの付いた船でも操船は簡単ではない。元寇時の帆船はもっと潮や風で流されやすい。ヨットに乗っていたのでこの感覚はわかります。

初めての港にいかりを下ろすのは、海図や魚群探知機、レーダーがある現代でも難しいうえ、敵地での座礁は死を意味しますから、慎重になって当然。また、いかりを下ろしても船は動くので、互いに衝突しないよう間隔を空けて停泊する必要がある。さらに、各船が積んできた上陸船、水くみ船(輜重(しちょう)船)を海面に下ろして兵馬や食糧をピストン輸送しなくてはなりません。岸までは1.2~2キロメートル。全軍上陸には丸1日かかります。

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