──ドラマのようですね。
人によっては、この本で小澤先生を批判したと読んだようですが、そんなつもりはまったくありません。最も憧れ、感謝している先生。世代が違い、熱い思いもあって(笑)、先生に反抗したようなことはあったと思いますが。
──30歳のとき、小澤さんに「まだ日本にいるのか」と言われます。
海外に背を向けたわけではなく、拠点と視点をどこに置くかを強く意識し、海外ではなく日本に置いたということです。社会や人間の生活と音楽は密着しているべきだと思います。それを考えたとき、生まれ育った日本という国、東京という街がいちばん大事な場所だろうという認識を持っていました。
誰もルーツが欧州であることを気にして自動車に乗ったり服を着たりしていません。ところが音楽、とくにクラシックだと源流はどこか、本場はどこかを意識する。こういう意識はあっていいけれど、こだわりすぎて、生き生きとした現在進行形の音楽活動、社会と音楽のよりよい関係ができていないのでは、という疑問があった。ほかの分野と同じように、自分たちが作り出し、社会に求められるものこそが自分たちの音楽ではないかと考えていました。
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