「源流」にこだわりすぎず生き生きした進行形の音楽を 指揮者 大友直人氏に聞く

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おおとも・なおと 1958年生まれ。小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明、岡部守弘各氏に師事、桐朋学園大学在学中にNHK交響楽団の指揮研究員、22歳でデビュー。国内主要オーケストラで常任指揮者などを務め、現在東京交響楽団名誉客演指揮者、京都市交響楽団桂冠指揮者など。(撮影:梅谷秀司)
クラシックへの挑戦状 (単行本)
クラシックへの挑戦状 (大友直人 著/中央公論新社/1700円+税/202ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。
1981年、小澤征爾の推薦でタングルウッド音楽センター(米国のタングルウッド音楽祭の一環として開かれる夏期講習会)に参加した青年指揮者は、クラシック界における日本の評価の低さを知って驚愕、ある決意をする。重要なオーディションをボイコットし、激怒した小澤に胸ぐらをつかまれるが、その決意が揺らぐことはなかった。

──ドラマのようですね。

人によっては、この本で小澤先生を批判したと読んだようですが、そんなつもりはまったくありません。最も憧れ、感謝している先生。世代が違い、熱い思いもあって(笑)、先生に反抗したようなことはあったと思いますが。

──30歳のとき、小澤さんに「まだ日本にいるのか」と言われます。

海外に背を向けたわけではなく、拠点と視点をどこに置くかを強く意識し、海外ではなく日本に置いたということです。社会や人間の生活と音楽は密着しているべきだと思います。それを考えたとき、生まれ育った日本という国、東京という街がいちばん大事な場所だろうという認識を持っていました。

誰もルーツが欧州であることを気にして自動車に乗ったり服を着たりしていません。ところが音楽、とくにクラシックだと源流はどこか、本場はどこかを意識する。こういう意識はあっていいけれど、こだわりすぎて、生き生きとした現在進行形の音楽活動、社会と音楽のよりよい関係ができていないのでは、という疑問があった。ほかの分野と同じように、自分たちが作り出し、社会に求められるものこそが自分たちの音楽ではないかと考えていました。

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