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渋沢栄一は「迷信嫌い」「独占嫌い」だった 4男・渋沢秀雄氏が語った大実業家の素顔(上)

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「東洋経済新報」1950年1月7日号

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戦後まもなくの東洋経済では明治維新の先覚者の子息に父を語ってもらう企画があった。その第1回が大実業界である渋沢栄一の4男の渋沢秀雄氏(1892ー1984)。2021年には渋沢栄一を主役としたNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」が放送される予定であり、渋沢が注目されることになるだろう。子息へのインタビューをもとにした本記事は、上・下で幕末のから晩年までを語り起こした貴重な記録である。

 

本社 日本は敗戦で、ちょうど明治維新当時のような情けない状態に帰ってしまったのですが、われわれは日本人1人1人が明治の先覚者たちの意気を再現して大いに奮起してもらいたいと痛感しているのです。

そこで、先覚者たちがどんなに苦しみ、どんなに努力して外国の文化を吸収し、また工業を創造していったかを、ここでもう一度ふりかえって見る必要があると思いますので、その先覚者のご子息の方々に「父を語って」いただくことにいたしました。

そこで、第1番に、戦前に見るような充実した工業日本を作り上げた、その原動力となった渋沢翁のお話を伺わせていただきたいのです。

翁のお生まれは埼玉県ですね。

利口な子供

渋沢 ええ、天保11年(西暦1840年)2月13日に武蔵国血洗島という村で生まれております。家はまあ豪農といえる程度だったらしいです。東の家に中の家という、位置から来た名前の渋沢が2軒、父はその中の家に生まれたのです。

8つ頃から剣術や書を学び出して、13、4で四書、五経はもとより、本が好きで通俗三国史、里見八犬伝など愛読していましたが、年始の途中、歩きながら読んだのでつい溝に落ち、晴着を泥だらけにして母親にしかられたという逸話があります。

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