小学生から「メディアリテラシー」教育が必要な訳 真偽はともかく「面白ければ」拡散する若者たち
「人類のコミュニケーションは、第1に言葉を獲得し、次に文字を発明して進化してきました。現代のインターネットの登場は、そうしたコミュニケーションの第3段階に入る新たな大転機です。情報量も流通速度も前代未聞。誰も経験したことのない状況なのです」
情報のあふれる時代を正しく生きるには、ファクトチェックとメディアリテラシーという2つの方策がある。下村氏はそれらを「解熱剤と予防接種」に例える。いずれも欠かせない両輪として行われるものだが、メディアリテラシーの知識を身に付けることで、誤った情報に触れた際にも「発熱」を防ぐことができるというわけだ。
「これまでの日本では、メディアリテラシー教育について『そんなことは当たり前のことじゃないか』と言われることが多かった。ではその当たり前がどこまで実践できていたかといえば、子どもたちだけでなく、親世代も迷走しているのが現状です」
だからこそ、下村氏は伝え方に心を砕いている。子どもたちにもわかりやすいよう、「ソウカナ」という合言葉を作った。これは「即断するな」「鵜呑みにするな」「偏るな」「(スポットライトの)中だけ見るな」の頭文字で、真偽不明の情報に出合ったときにいったん立ち止まることを促すものだ。
2:[ ウ ] 鵜呑みにしない...意見印象を峻別する力
3:[ カ ] 偏らない..ほかの見方、考え方もありうると思いつく力
4:[ ナ ] 中だけ見ない...スポットライトの外側に隠れているかもしれない情報を、想像し見いだす力
「早すぎるメディアリテラシー教育が子どもの純真さを奪う」などという反対意見に対しては「あなたはサンタクロースがいないと知って、クリスマスがつまらなくなりましたか?」と問う。
情報を疑えと言うと、中にはひねくれた子どもになってしまうのではないかと心配する大人もいるが、視野を広げてさまざまな情報を見ようということ。例えば、テレビドラマでも、台本どおりに役者が演じていることを知ったとしても、その面白さが色あせたりすることはないのと同じだ。
真偽を気にせず情報を拡散する学生には「通りすがりの人にもらったおにぎりを友達と一緒に食べますか?」と尋ねる。これは知らない人が発信している情報をどう扱うかということだ。
こうした例え話で、情報に対する具体的な姿勢を意識することが大事だという。これまでメディアリテラシー教育は、必要性が叫ばれながらも適した教材が少なく、なかなか広まってこなかった。だが下村氏は「特別な教材で特別な授業をする必要はない」と話す。学校では朝の会や帰りの会、家庭でも日常の会話の中で、「ソウカナ」の視点で身近なニュースについて話すことでも十分だと言う。
「教員も含め、メディアリテラシー教育を受けていない大人世代がすべきことは、情報に真摯に向き合う横顔を見せて、子どもたちと一緒に謙虚に学んでいくことです。理想は、みんなが柔軟に情報を受け取るのが当たり前になること。この正解なき時代に、唯一の正解を突き止めようと力まずに、“ゆるふわ”で情報を受け取ろうと僕は言っています。どの情報にも真実はあるし、間違いもある、そもそもわからないことが多くあります。本当かうそか、白か黒かではなく、情報の受け取り方もグラデーションがいい。そして不確かな情報に出合ったらいったん立ち止まる。この力を持つだけでも、世界はずいぶん安定感を取り戻すことができるはずです」
(文:鈴木絢子、注記のない写真:dotshock / PIXTA)
制作:東洋経済education × ICT編集チーム
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