小学生から「メディアリテラシー」教育が必要な訳 真偽はともかく「面白ければ」拡散する若者たち
歴史背景から見ても、メディアリテラシー教育を日本社会は無意識のうちに軽視する選択をしてきたのだという。戦時中も、復興から高度経済成長へと突き進んだ戦後も、国民が一丸となる必要があった。世界に伍する国となるため、大量生産・大量消費社会に適した人材を、画一的な教育で育成した。それが日本を「政府による言論統制も不要なほどの同調圧力が要所要所で働く国にした」と下村氏は話す。
「それは、時代の要請に応えるという目的にはかなっていたのでしょう。でも、時代は変わった。内なる同調圧力で情報を疑わない社会から、そろそろ脱却しなければなりません。日本でのメディアリテラシー教育の進展はとてもゆっくりですが、事態はもはや瀬戸際。トランプ政権下やコロナ禍に飛び交う膨大なフェイクニュースに、メディアリテラシーの必要性を実感した人も多いはずです。教育によって社会の分断を防ぐことができるかどうか、すでにギリギリのところです」
急激なメディア環境の変化と、それに対応できない人々のあり方に、下村氏は危機感を募らせる。メディアリテラシーの不足によって、実際にはどんな問題が起こるのだろうか。
「例えば中高年の場合、新聞やテレビなど、従来のマスメディアと同じような感覚でフェイクニュースを鵜呑みにしてしまうことがあります。当然精査された情報だと思ってしまう、メディアへの信頼があるがゆえの問題ですね。対して大学生などの若者は、メディアへの姿勢がもっと冷ややか。物心ついた頃からインターネットがあり、情報が玉石混淆であることは知っています。ただ、彼らは情報の信憑性をあまり気にせず、面白いと思えば拡散してしまう。うそか本当かわからないことを広めることに、リスクをあまり感じていないのです」
つまり、若者の情報拡散は、価値のある正しい情報だと信じているから行うのではなく、そもそも情報を発信しているという自覚がないままに行われているということだ。彼らのその判断に真偽は重要ではないので、この情報はうそだとか、ファクトチェックが重要だなどと言っても響かない。その前に、まずはメディアとの付き合い方を知るメディアリテラシー教育が必要になってくるという。
「情報」を理解すれば、フェイクニュースは小学生にもわかる
では、メディアリテラシー教育にはどう取り組めばいいのか。下村氏は「まず情報の受信力を高めることが重要」だと話す。
「そもそも『情報』とは編集と構成が加えられたもので、発信者の意図が混入することは不可避です。これを正しく理解しておかないと、不確かな情報に踊らされたり、必要以上に疑ったり、信じたいことだけを信じてしまったりということになりかねません」
さらに下村氏は、受信力を高める最良の方法として「自分で発信してみること」を勧める。情報を生み出す側の視点がわかれば、自分が受信するときの眼力も変わるからだ。小さな子どもにはなかなか理解させにくいことでもあるが、下村氏は小学校低学年の子どもには、紙芝居を使った授業がわかりやすいという。
動物たちが描かれた4枚の紙芝居を自由に並べて、子どもたちにお話を作ってもらう。結果として出来上がるものは、全員同じ素材を使っているのに、順番もストーリーもバラバラになるわけだが、これにより編集作業で内容が変わること、伝え手によって描き方が異なることを、子どもたちは体験的に理解できるという。
紙芝居を並べ替えてお話を作る作業は、まさに別のニュースの写真を組み合わせてフェイクニュースを捏造する工程とも同じだ。
大学生にこの「受信力と発信力」の説明をする際には、下村氏は「受信した情報を広めることも発信の1つ。発信には責任が伴う」とクギを刺す。そうした講義を受けた学生からは「もっと早く教えてほしかった」「先生のせいで怖くてリツイートできなくなっちゃった」という感想が多く寄せられるそうだ。だがそうした責任感こそが、安易な拡散や、相手を傷つけるような不用意な発信を防ぐことにもつながる。
朝の会や帰りの会、家庭でもできるメディアリテラシー教育
メディアと人々の今日の接し方について、下村氏は「混乱があるのは当たり前」だと語る。