「紙とデジタル」学びの違いは、経験の差の可能性 SNSのやりすぎは、学びにどんな影響があるか
今後は対面に加え、ICTやAIを介したコミュニケーションが増大、変化していく。この変化に対応できるよう、今までの教育で重視していた語彙や文法の知識、敬語など場面に応じた適切な表現といった基本的言語知識を「使いこなしていく3つの能力」が必要だと指摘する。
1つ目は「自律的言語使用能力」だ。インターネット上にあふれる膨大な情報の中には、虚偽あるいは無益な情報がたくさん含まれている。そうした玉石混淆の情報から目的を持って必要な言語情報を取捨選択し、批判的な視点を持ちながら分析・理解する力が自律的言語使用能力である。
「言い換えれば、情報を取捨選択し、知識にしていく能力です。昨今、たまたま目にした情報を、真偽を確かめることなく信じてしまう子どもが増えています。OECDの『PISA2018』でも『すばらしいスマホを持ちながら、貧しい教育を受けている子どもは、深刻な危機に陥る』と警告しています」
2つ目が「社会的言語使用能力」だ。デジタル、非デジタル空間内で他者との有益なネットワークを築きながら、言語を通じてお互いの知識の量を拡大していく能力を指す。例えば、他者と協調しながらタスクを遂行する場合、多様性に対応できる柔軟な姿勢や、言語情報から相手の考え方や感情・情緒を理解し、共感を深めることのできる能力も、この社会的言語使用能力に含まれる。
3つ目は「創造的言語使用能力」だ。「創造的」とは既存の知識を再構成・再構築したり、新しいコンテクストの中で応用したりすることである。
「創造的言語使用能力は、人間が今後AIと共存していくうえで、非常に重要な部分です。言語だけではなく、映像や音などのマルチモダルなツールをすべて駆使して、同じ言語を共有しない他者やAIともコミュニケーションしながら、創造的な活動をしていく能力です」
子どもたちが、こうした言語能力を習得するには、今後どんなに技術が進んでも、教師の役割が非常に大切であることに変わりはないという。子どもたちの言語使用や、認知スタイル・嗜好を理解し、彼らがテクノロジーを選択的・方略的に使うための支援ができるよう、教師が適切なデジタルリテラシーを身に付けることも大切だ。
バトラー氏が専門とする言語教育の分野でも、もはやデジタルテクノロジーは欠かせなくなっている。ただ、つねに教師が最新のアプリやソフトに精通している必要はないと話す。
「先生がすべて完璧にお膳立てをしたものを子どもたちに与えるという考え方をしていると、とても負担になります。そもそもテクノロジーも社会も、どんどん変化していくので、それに対応した完璧なものを準備するのは無理に近いでしょう。ICTに関しては子どもたちのほうがエキスパートだという部分がたくさんあります。むしろ、その部分を上手に引き出していくような、子どもたちを学習の場面の中心に持っていく授業にすることが、先生たちの目指すところ、新しい学習のあり方ではないかと考えています」
例えば、予習とグループワークによる宿題を前提にして、授業では知識の理解の深まりと定着や、発展的な課題に時間をかけるような反転授業を取り入れてみるのも、これからの時代に即した学びの量と質を高める学習スタイルだ。
何より、長年の経験に基づく習慣を変えるのは難しい。だが、学習の場面で、今いちばん学びに対する柔軟性が求められているのは先生たちではないだろうか。ICTと教育がもはや切り離せない以上、先生たちがツールとしてのICTを使いながら、子どもたちと向き合っていくことが大切だ。
(注記のない写真はiStock)
制作:東洋経済education × ICT編集チーム
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