私は、オックスフォード大学に入学した初日に教授からこう言われました。「今までの教育とオックスフォード大学の教育は根本的に違う。今までの教育は大学に入学するための教育にすぎない。本番はこれから始まるのです」と。
その日以降、大学でクリティカルシンキングの徹底した教育が始まりました。専攻する科目もクリティカルシンキングを極めるための手段であって、目的ではないのです。教授陣は自らが得意とする科目を使って、クリティカルシンキングを教えているのです。大学で、クリティカルシンキングの授業があるとか、そのやり方を概念的に教えるのではなくて、授業そのものがクリティカルシンキングなのです。
つまり、オックスフォード大学の教育は、入学から卒業までクリティカルシンキングを極めるためのものです。脳の組織が自動的にクリティカルシンキングをするように再構築されます。そのため、社会に出てから知らない人に会っても、どんな話し方をするかで、その人がオックスフォード大学などの卒業生であるかどうかがわかってしまうのです。
集中的に練習を積むことで脳の構造が変わる
――クリティカルシンキングは、どう学ぶのですか。
テーマを与えられた学生が論文を書きます。その論文に関して、先生から、なぜそう思うのか、なぜその結論に達するのか、そこに矛盾はないのか、その結論には十分な検証があるのか、飛躍がないのか、と問われます。クリティカルシンキングとは、ロジックを積み重ねていくことです。オックスフォード大学では、その対話を教授と学生が繰り返し行っていくことで脳に覚えさせていくのです。
それはピアノの弾き方を覚えることと同じであるともいえます。ピアノも最初はできませんが、集中的に練習を積んでいくことで脳の構造が変わって、次第に弾くことができるようになります。思考することもまったく一緒で、クリティカルシンキングを学ばせることで、脳の構造を変えていくのです。それが大学の役目です。小中高の延長戦で、詰め込みを行う場ではないのです。
そのため、オックスフォード大学の卒業生の場合、同じ仮説と前提、データを与えれば、ほとんど同じプロセスで同じ答えを出します。ロジックの構成の仕方がほぼ同じだからです。それは、ある意味では、その訓練を受けた卒業生の脳は、クリティカルシンキングができる機械に変えられているということ。だからこそ、同じインプットを与えれば、その機械は同じ結果を出す。計算機と一緒なのです。
ちなみに理系の人が学ぶ科学的思考も本を正せば、クリティカルシンキングから発展したものです。オックスフォード大学ではリベラルアーツを学ぶのも単に知識や教養を増やすのではなく、ロジックを学ぶための手段なのです。数学が得意な人も、歴史が得意な人も、同じようにクリティカルシンキングを学んでいるのです。
――オックスフォード大学では、クリティカルシンキングを学ぶことを徹底して行っているということですね。
例えば、ゴールドマン・サックスに入社するときも、アメリカの大学出身者はビジネススクールのMBA(経営学修士号)取得が原則必須でしたが、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の出身者は学士号のみで入社できました。
私が大学生の頃も、ハーバード大学の学生がオックスフォード大学に留学してきましたが、同学年で教育レベルが少し遅れているように感じました。確かに優秀ではあるのですが、アメリカでは大学院レベルまで行かなければ、オックスフォードの教育には追いつかないように見えました。