相鉄、平成30年間をかけた高架化「最後の夜」 一晩で踏切なくす「人海戦術」の切り替え工事

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線路の移設やホームの設置、そして架線の切り替えと、さまざまな作業が同時並行で進む工事。「『当て切り』は2時半の予定でしたが2時過ぎに終わっているので、かなり順調にいってますね」と柾谷さんは笑顔を見せる。3時前には主だった作業が完了し、列車を迎える準備がほぼ整った。

高架化された星川駅上りホームに滑り込む1番列車(記者撮影)

そして午前5時少し前。この日から使用を開始する星川駅上り高架ホームの案内板には1番列車である「各停 横浜 5:11」の表示が灯った。5時過ぎ、真新しい線路を踏みしめるように試運転列車が時速15kmで走り去ると、その数分後、最新型車両「20000系」の始発列車が無事にホームへと滑り込んだ。

まだ調整作業は残るものの、関係者の顔には安堵の表情が浮かぶ。約16年をかけた高架化工事は、こうして1つの大きな区切りを迎えた。

着手までに14年、工事に16年

今回の高架化は、横浜市が主体となって進める「相模鉄道本線(星川駅~天王町駅)連続立体交差事業」と呼ばれる都市計画事業だ。その発端は、1988年度に地元から市に対して早期の立体化着手を求める陳情書が提出されたことにさかのぼる。

相鉄は高度経済成長期以降、沿線の急速な発展により利用者が増加。列車本数も増え、同時に地域では「開かずの踏切」による渋滞が深刻化していた。横浜市の担当者は「相鉄線はかつては相模川の砂利を運んでいた路線。それが急速に沿線が発展したことで、都市計画が追いついていなかった部分があった」と話す。

だが、事業のスタートまでには時間がかかった。要因として挙げられるのは「鉄道と幹線道路が2カ所以上で交差する」という、連続立体交差事業の国庫補助採択基準に合致しなかった点だ。

ピーク時の遮断時間が1時間あたり40分以上の踏切が含まれる場合はこの基準を緩和するとの見直しにより実現への道筋が付いたが、2002年度に都市計画決定されて事業が始まってからも工事には長い時間を要した。既存の路線を運行しながらの高架化は「限られた土地での施工になり、どうしても夜間主体になってしまう」(相鉄の工事関係者)ためだ。

また、星川駅には電車を停めておく留置線があったこともネックとなった。高架化工事で使えなくなると運行に支障が出るためだ。そこで、2002年度にまず着手したのは留置線を西横浜駅に移設する工事だった。実際の高架化区間である星川―天王町間の工事が始まったのは2007年度で「留置線移設工事ができたことで初めて着手できた」と関係者はいう。

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