蘇る《清和会のドラマツルギー》、"小泉パパ"との共通点から浮かび上がる「高市劇場」が歩みうる今後のシナリオ

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その最大の功労者は麻生太郎元首相だった。麻生氏は最後までその態度を明らかにせず、投開票前日には進次郎氏や茂木敏充前幹事長も「麻生詣で」を行った。結果的に進次郎氏には“収穫”はなく、茂木氏には“大豊作”となった。

茂木氏の側近である鈴木貴子氏が高市新執行部で広報委員長に抜擢され、茂木氏自身は高市政権成立の際に外相に就任する予定だ。小林鷹之元経済安全保障担当相も政調会長に抜擢された。高市氏のために「2・3位連合」ならぬ「1・4・5位連合」が、麻生氏によって結成されていたことは明らかだった。

24年前に吹き荒れた「小泉旋風」の内実

田中真紀子
小泉純一郎政権の誕生に大きく貢献した田中真紀子元文部科学相(撮影:尾形文繁)

それでは、01年4月の総裁選はどうだったか。当時、国民に不人気だった森喜朗元首相が退陣し、その後進として純一郎氏が手を挙げた。そして、日本国中に「小泉旋風」が吹き荒れた。その中心となったのは田中真紀子元文部科学相だった。

田中氏は、1998年の総裁選に出馬した故・小渕恵三元首相、故・梶山静六元幹事長、純一郎氏の3人を指して「凡人、軍人、変人」と揶揄したことがある。それを受けて01年の総裁選では、真紀子氏が「“変人”の生みの母です」と純一郎氏との関係をアピールし、話題になった。当時、2人が街宣車に乗って現れた渋谷駅前のスクランブル交差点には、身動きが取れないくらい多数の人が集まった。

純一郎氏の「自民党をぶっ壊す」というスローガンにも、国民は酔いしれた。国民的ムーブメントの中で党員票の比重は3倍に増やされ、各都道府県連で勝者総取り方式が採用された。これにより、純一郎氏は41都道府県で1位を占めることになった。

これを見て、3カ月後に参院選を控えた議員票175票が、純一郎氏に投じられた。4月26日に小泉純一郎政権が発足し、持論の郵政民営化などの構造改革・規制改革が始まった。

当時の日本はバブル崩壊を経験し、経済成長信仰の見直しを迫られていた。そのために国民は、世の中を変えてくれる強いリーダーの誕生を熱望。それに応じて誕生したのが、小泉政権といえる。

01年5月に行われたNHKの世論調査では、内閣支持率が81%と極めて高かった。前月の森内閣の支持率はわずか7%にすぎず、文字どおり「谷深ければ山高し」となった。

当時に似たダイナミックな政治の動きをわれわれは今、目にしている。高市氏は国民に人気があったが、党内の支持基盤は弱かった。決選投票では進次郎氏に菅義偉元首相と岸田文雄前首相が協力した。彼らは昨年の総裁選での決戦投票で石破茂首相を応援し、1回目の投票でトップだった高市氏を敗北させた。

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