
今回は個人的な話を書く。親しい先輩記者であり、土建屋の親分でもある。
「なんだ、それ!」
うん。だから、個人的な話だって言ってんじゃん。
でも最後まで読んだら、このコラムにふさわしいと気付くはずだ。
まず、私が最も尊敬する記者だ。
だが、出会いは最悪だった。
1990年代、金融崩壊の時代、日経のエース、掛谷建郞編集委員が日経ビジネスに異動してきた。
その頃、私は4年目の若手で、証券業界を担当していた。
私は面白くない。だって相手はピカピカのエースですよ!
東大法学部卒で金融機関や霞が関に食い込み、米国駐在時代はウォール街まで取材、『米銀の崩壊と再生』という壮大な経済書を出していた。それって、アメリカ人ジャーナリストでも書けないっす。
それは日本の金融崩壊における、再生への提言書にもなった。当時の金融界に「日経の掛谷」を知らない者はいなかった。
一方、私はぺーぺーで、負けん気だけの「跳ねっ返り」。挨拶も交わさず数カ月が過ぎた。
私の隣にいた長妻昭記者(現・立憲民主党代表代行)が、見かねて掛谷氏の言葉を伝えに来た。
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