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かつて金融界で名を轟かせた元日経のエース記者が突如「土建屋の親分」に。転身した先で築いた新たな「伝説」とは

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掛谷工務店のイメージイラスト
(イラスト:北沢夕芸)
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30年以上にわたる企業取材の経験を通して、「ヤバい」と感じた会社や仕事を取り上げていく。【原則日曜日更新】

今回は個人的な話を書く。親しい先輩記者であり、土建屋の親分でもある。

「なんだ、それ!」

うん。だから、個人的な話だって言ってんじゃん。

でも最後まで読んだら、このコラムにふさわしいと気付くはずだ。

まず、私が最も尊敬する記者だ。

だが、出会いは最悪だった。

1990年代、金融崩壊の時代、日経のエース、掛谷建郞編集委員が日経ビジネスに異動してきた。

その頃、私は4年目の若手で、証券業界を担当していた。

私は面白くない。だって相手はピカピカのエースですよ!

東大法学部卒で金融機関や霞が関に食い込み、米国駐在時代はウォール街まで取材、『米銀の崩壊と再生』という壮大な経済書を出していた。それって、アメリカ人ジャーナリストでも書けないっす。

それは日本の金融崩壊における、再生への提言書にもなった。当時の金融界に「日経の掛谷」を知らない者はいなかった。

一方、私はぺーぺーで、負けん気だけの「跳ねっ返り」。挨拶も交わさず数カ月が過ぎた。

私の隣にいた長妻昭記者(現・立憲民主党代表代行)が、見かねて掛谷氏の言葉を伝えに来た。

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