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「海外で売れまくる日本酒」を生み出した獺祭会長の“よそ者人生” 「地元で苦労したから外に出られた」と語る真意、そして事業承継への思い・・・
――純米大吟醸に絞って売れたのは、東京だったからですか。
そうだと思う。岩国とかでは売れないですよね。そこはある意味、いろんな巡り合わせが積み重なった。
「東京で大変な目に合ったね」って言われるんだけど、それでも東京市場はまだ優しかった。山口県内があまりにひどかったから。努力すればちゃんと報われるしね。そういう意味ではすごくやりやすい市場だった。
自らの生い立ちがもたらした英断
――その後、2002年から海外輸出も始めていきます。自然な流れだったのでしょうか。
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