「長期停滞からの脱却」は本当か?実質賃金の現実 海外に漏れ出す付加価値、労働への分配も高まらず

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経済全体で見れば、労働市場が超過供給にあるという状況に謙虚に向き合うべきでないか。確かに、新型コロナ禍後、失業者数が横ばい傾向にあり、就業者数が大幅に上昇してきた。その事実をもって労働需要が旺盛だと判断されてきた。

しかし、経済学のイロハでは、量(就業者数)が上昇し、相対価格(実質賃金)が低下している市場は、需要ではなく供給が旺盛であると解釈する。

労働市場は「失業の非労働力化」と「非労働力の再労働力化」の同時進行の結果、経済全体で見て供給過多となった。

すなわち、失業プールにいる労働者(雇用保険などである程度守られている求職者)ではなく、非労働力プールに潜在化している労働者(雇用保険の期限切れや低水準の年金であえいでいる求職者、そもそも雇用保険に保護されていないパートタイム求職者)が低待遇の求人に応じざるをえなかった。

最後に、財政・金融政策について、2つのコメントをしてみたい。

基礎・所得控除の引き上げのような税引き後の労働所得(卑近な言葉でいえば「手取り」)を拡大させる所得政策の効果を実質賃金の向上に安易に結び付けることは絶対に控えるべきである。

「手取り増」の政策は労働の超過供給を促す

非労働力プールには、相対的に低い待遇のパートタイムジョブに対する求職者が大量に控えている。控除引き上げは、そうした労働供給が顕在化する契機となる。

「手取り」の増大はこの場合、労働時間の延長や就業者数の拡大を通じてもたらされる。労働供給が追加的に解放される分、実質賃金のほうは低下する可能性さえある。

それにもかかわらず、所得政策の成果を実質賃金の向上に求めれば、いつまでたっても実質賃金が上がらないことに苛立って、所得政策がいたずらに拡大されかねない。

本稿の考察を踏まえれば、新型コロナ禍後の日本経済が、過去4半世紀あまりの経済停滞から着実に回復しているという巷間の了解はきわめてミスリーディングである。むしろ、新型コロナ禍後にV字回復に失敗した日本経済は、依然として停滞状態にある。

それにもかかわらず、長期停滞からの回復(「デフレからの脱却」)を前提として、金融政策の正常化(政策金利の大幅な切り上げ)を図ることには慎重になるべきであろう。

昨今の日本経済に関する以上の見解は、常識的な見方と大きくかけ離れている。しかし、過去40年あまり、日本経済と向き合ってきた「公平な観察者」の所感、いや、そんなたいそうなものでなく、日本経済に聴診器をあて続けてきた町医者の診断というぐらいに受け取ってほしい。

今回も、日本経済という身体に対して、使い慣れた聴診器を注意深くあて、できるだけの慎重さでカルテを書いたつもりである。

齊藤 誠 名古屋大学大学院教授

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さいとう まこと / Makoto Saito

1960年名古屋市生まれ。83年京都大学経済学部卒業、住友信託銀行入社。92年米マサチューセッツ工科大学Ph.D.。カナダ・ブリティッシュコロンビア大学経済学部助教授、一橋大学大学院教授などを経て2019年から現職。専攻はマクロ経済学。近著に『震災復興の政治経済学』『Strong Money Demand in Financing War and Peace』『財政規律とマクロ経済』。

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