それでは1991年8月19日、クーデターが勃発した日に話を進めよう。この日は月曜日だった。前日の18日は日曜日だったので、妻とともにプロテスタント教会の夕方の礼拝に出席した。ソ連が崩壊するまで、モスクワにプロテスタント教会は1つしかなかった(もっともこれは公認教会に限ってのことで、住居の一部屋を礼拝堂に改造した地下教会もあった。しかし、そのような教会に外交官が出入りしていると、国外追放になる可能性があった)。
キリスト教会は口コミの情報源
全連邦福音主義キリスト教・バプテスト同盟というソ連最大のプロテスタント教会と、メノナイト同盟(絶対平和主義を特徴とするプロテスタント教会)、セブンスデー・アドベンチスト教会(土曜日に礼拝し、肉食を避けるプロテスタント教会)が、マールィー・ブーゾフスキー横町にあった。十字架も立っておらず、外から見ると工場のような感じだ。小さな青銅製の看板に教会名が書いてある。
礼拝堂は2階建てで、1000人くらい収容できる大教会だが、いす席はすぐにいっぱいになり、立って礼拝に参加する人が少なからずいる。日本や欧米のプロテスタント教会は、日曜日の朝に礼拝をする。モスクワのプロテスタント教会では1回の礼拝ですべての信者をさばくことができない。だから日曜日は午前10時、午後1時、午後7時の3回、火曜日と木曜日は午後7時に礼拝と、信者を分散している。
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