2022年8月、京セラ創業者の稲盛和夫氏が亡くなった。今なおその影響力が色濃く残る京セラで、創業者に頼らない新たな経営の模索が始まっている。
長崎県諫早市に15ヘクタールの新工場を建設し、2026年に半導体用パッケージや半導体製造装置向けのセラミック部品といった半導体関連部品の製造開始を予定――。2022年12月、電子部品大手の京セラは新工場建設に向けた用地取得の申し入れを発表した。国内で新工場を作るのは、2005年に稼働を開始した京都府の綾部工場以来だ。いま、京セラの投資への姿勢が変わろうとしている。
「稲盛がいた時代と引退した時代を経て、今度は稲盛を当てにせずに僕らで何とかしなければいけない時代が来た。2回目の変化が起きている」電子部品大手・京セラの谷本秀夫社長は、2022年11月に東洋経済のインタビューにそう語った。
稲盛氏退任後に起きた異変
京セラは1959年、のちに日本で最も有名な経営者の1人とされる稲盛和夫氏らが創業した。稲盛氏は経営哲学「フィロソフィ」や、「アメーバ経営」に代表される経営管理手法を編み出した。1997年まで会長を務めるなど、長く経営を引っ張ってきた。
その成長を特徴づけたのが多角化だ。祖業のブラウン管テレビの絶縁用セラミック部品からIC用基板、半導体用セラミックパッケージへと製品のラインナップを広げてきた。安定した収益を稼げる事業に手を広げることで、不況時に会社と雇用を守れるという稲盛氏の考えから多角化を進め、1975年に松下電器産業(現パナソニックホールディングス)などと合弁会社を設立し、太陽電池の開発を開始した。
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読み頂けます。
登録は簡単3ステップ
東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
おすすめ情報をメルマガでお届け
無料会員登録はこちら
ログインはこちら