マルクスの『資本論』から筆者も強い影響を受けた。同書の解釈については、理論と実践を区別して、資本主義の論理を整合的に説いていくことを主張した宇野弘蔵(1897〜1977年)の経済理論が、筆者には最も説得力があるように思える。
理論と実践を区別した宇野経済学に異論
宇野は、マルクスの理論と実践を区別する。マルクスの『資本論』を読んだからといって、社会主義者や共産主義者になるわけではないと宇野は考える。日本共産党や社会主義協会(日本社会党の左派に強い影響を与えていたマルクス主義者の団体)の人たちは理論と実践の有機的統一を説いたが、筆者は実践の倫理は『資本論』とは別のところから出てくると考える。
例えば、1924(大正13)年に『資本論』を日本語に完訳した高畠素之(1886〜1928年)は、政治的にはムッソリーニのファシズムに魅力を感じて国家社会主義者となり、陸軍と提携して社会を改造することを考えた。
現代では、竹中平蔵氏の『経済古典は役に立つ』(光文社新書、2010年)を読むと、同氏がマルクス経済学の特徴は労働力の商品化であることを正確に理解していることがわかる。日本の主流派経済学者の中で、竹中氏のマルクス経済学についての知識は正確で深い。そうではあるが、竹中氏の思考に社会主義的要素は希薄だ(同氏は人間関係を大切にし学生の指導にも熱心であり、経済合理性だけで動く人ではない。ある種のコモンズの感覚も持ち合わせている。筆者の理解では、竹中氏は新自由主義者ではなく行動経済学者だ)。
この記事は有料会員限定です。
東洋経済オンライン有料会員にご登録頂くと、週刊東洋経済のバックナンバーやオリジナル記事などが読み放題でご利用頂けます。
- 週刊東洋経済のバックナンバー(PDF版)約1,000冊が読み放題
- 東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
- おすすめ情報をメルマガでお届け
- 限定セミナーにご招待
無料会員登録はこちら
ログインはこちら