中央銀行を魅了した「清滝理論」の核心 独占インタビュー②金融危機で思い立つ

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清滝氏がニューヨーク連銀の研究者と共同で書いた論文。(編集部撮影)

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2007年夏ごろからアメリカで始まったサブプライムローン危機。この状況を見た清滝氏は、「自分たちの論文で説明できる」と考えたという。
清滝氏らの理論とFRB(アメリカ連邦準備制度理事会)の政策はいかに結びき、融合していったのか。当時の状況を清滝氏が詳細に語った。

 

――清滝=モーアモデルが発表される少し前、ベン・バーナンキ(FRB元議長)やマーク・ガートラーも負債・デフレーションに関する有名な論文を発表しているそうですが、違いは何ですか。

バーナンキとガートラーの場合は、投資主体のバランスシートは過去に依存するというところを強調し、増幅作用を議論している。僕らの論文はそれに加えて、資産価格と担保の関係、負債のテコ作用、将来の期待を考慮したところが貢献だ(清滝=モーアモデルの詳細はインタビュー第1回)。

【ワンポイント解説】

ベン・バーナンキ

1953年生まれ。アメリカのマクロ経済学者で、リーマンショックをはさむ2006年〜2014年にFRB議長を務めた。アメリカ大恐慌や金融危機の研究で有名。

――清滝さんは、FRBの政策との関係でも有名です。どのような経緯で接点ができたのでしょうか。

「清滝=モーアモデル」では、金融と実物経済との相互関係がカギだという思いがあった。その後、さらに流動性や景気循環、金融政策に関連する論文も発表した。

これは、金融資産の流動性に着目した研究で、2007年〜2008年にかけての世界金融恐慌(いわゆるサブプライムローン危機からリーマンショックに至る世界的な金融危機)のとき、FRBの政策に結びついた。

――どのような内容だったのでしょうか?

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