
ひぐち・ひであき 1952年生まれ。京都大学法学部を卒業後、83年に判事補任官。大阪高裁判事などを経て、2012~15年に福井地裁判事部総括判事。大飯原発運転差し止め判決では裁判長を務めた。17年、名古屋家裁部総括判事で定年退官。講演、執筆で原発の危険性を訴えている。(撮影:尾形文繁)
「裁判官は弁明せず」という格言があるように、裁判官は自分の関与した事件について論評しないという伝統がある。しかし、2014年に3.11後初めてなされた原発運転差し止め訴訟の判決で、大飯原発の運転差し止めを命じた裁判長は、控訴審で取り消された当該判決の内容をあらゆる手段で伝え続ける。
裁判官は独立の気概を持ち、理性と良識で判断を
──なぜ伝統を破ってまで発信を。
福島第一原発は2号機、4号機で奇跡が起きて、東日本壊滅を回避できました。原発は有事に「止める、冷やす、閉じ込める」の1つでも欠けると重大事故になるのに、私は1つでも成功すれば安全だと誤解していた。停電や断水が事故につながる原発は、平時にしか利用できない技術だとわかった。地震国なのに大飯に限らず原発は地震に対し脆弱です。福島の事故から、原発は一地方の存続ではなく国の存続の問題と学びました。黙っているのは無責任です。
──大飯の判決は、万が一でも人格権侵害の危険があれば差し止め、という判断が画期的とされました。
人格権は命を守る権利だから、侵害の危険があれば差し止めは当然で、問題は危険の程度。抽象的危険、万が一の危険、差し迫った危険のどれか。万が一の危険でも具体的なら認められると考えられるが、「電気や水が絶たれれば大事故になる」ではまだ抽象的。絶たれる原因を特定しなくちゃいけない。
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