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大震災が促した「記憶」のデジタル化 政治の恣意による公文書の廃棄は防止されるべき

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東日本大震災は記憶の保存を変え、やがては政府の活動をも変えていく。

陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園国営追悼・祈念施設で3月11日、白菊を手向ける参列者たち(毎日新聞社/アフロ)

3月11日、東日本大震災から10年を迎えた。この間の復興の過程で津波に強いまちづくりが目指され、原子力発電所事故の放射能汚染に苦しむ福島を別にすれば、多くの公共事業はほぼ終了し、ハードの町並みは完成した。

振り返れば、この間、さまざまなデジタル資料を保存する「デジタルアーカイブ」の構築が叫ばれた。偶然ではあったが、発災翌月の4月から公文書管理法が施行され、国のもろもろの歴史的公文書の保存が進められた。森友・加計学園問題、「桜を見る会」問題など、第2次以降の安倍晋三政権のスキャンダルでは、いずれも公文書の保存の有無が焦点となった。その起源こそ、この震災後の公文書管理法の整備だったのである。

こうして、公文書館としての「アーカイブ」の整備もしだいに重視されるようになり、それと軌を一にして、「デジタルアーカイブ」も主張された。日本がデジタルアーカイブを抱える社会となったのが、この10年間であった。

震災前の地域の写真や、津波の動画、復興過程の区画整理の風景、被災者の交流、振り返りの語りなど、さまざまな写真や動画、音声の電子ファイル、復旧・復興過程の行政文書などがアーカイブとして収集・整理され、関心ある人から視聴される。そうしたデジタルアーカイブは被災地のあちこちで構築された。

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