有料会員登録 東洋経済オンラインとは
ビジネス #JR東労組 3万人脱退の真相

ストめぐり分裂してきたJRの労組 「総連」「連合」の埋まらぬ溝

4分で読める 有料会員限定
  • 西岡 研介 ノンフィクションライター
労働運動をめぐる路線対立は、JRの経営にも直結する(読売新聞/アフロ)

1987年の国鉄の分割民営化。国鉄解体を行った中曽根康弘内閣には「国鉄の膨大な借金問題と赤字体質の解消」という目標と同時に、もう1つの狙いがあった。

日本最大の労働組合「国労」(国鉄労働組合、最盛期で約50万人)を潰し、ひいては旧社会党の支持基盤だった「総評」(日本労働組合総評議会、約400万人)を解体することである。

69年からの「マル生運動」をきっかけに、国鉄当局と、国労や「動労」(国鉄動力車労働組合、約4万人)との対立は決定的なものとなった。70年代に入ると両組合は、「スト権スト」などのストライキを頻発させ、「順法闘争」(規則の順守によって、合法的にスト同様の効果を狙う闘争戦術)などの闘争を激化させた。

しかし、これら国民生活を巻き添えにした戦術は、社会の反発を招き、世論が「国鉄改革」を後押しする大きな要因になった。

国労の力をそぎ、分割民営化に向けての動きを加速させるため、井手正敬・元JR西日本会長、葛西敬之・JR東海名誉会長、松田昌士・元JR東日本会長ら「国鉄改革3人組」は、旧民社党系で労使協調路線を採っていた「鉄労」(鉄道労働組合)を取り込んだ。

さらには、それまで国鉄当局と激しく対立し、当時から革マル派最高幹部と目されていた松崎明氏が委員長に就いていた動労とも、手を組んだ。

87年、分割民営化に最後まで反対した国労が壊滅状態に追い込まれる一方で、賛成に回った鉄労や動労などは勢力を強め、新たに全国組織「鉄道労連」(「JR総連」の前身)を結成。松崎氏はその副委員長に就任するとともに、下部組織である「東鉄労」(「JR東労組」の前身)の委員長に就いた。

ところが4年後の91年、そのJR総連が分裂する。きっかけは後に「1047人問題」と呼ばれる国労組合員の再就職問題だった。

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ビジネス

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数