子どもの貧困、内閣府「初の全国調査」で見えた悲痛な実態 文化資本の獲得や多様な経験する機会も限定的
また、感染拡大により「お金が足りなくて、必要な食料や衣服を買えないこと」が「増えた」と答えた世帯の割合は、全体では10.6%だったが、「準貧困層」では14.8%、「貧困層」では29.8%とやはり高くなっている。
戯れ言ではない「親ガチャ」、貧困の連鎖を断ち切るには
報告書を見ると、保護者の経済状況が子どもの学習環境に大きく影響していることがわかる。この状況を放置しておけば、経済的に豊かな保護者の子どもは学習環境にも恵まれ、その結果、子どもも豊かになる可能性が高く、「貧困層」世帯の子どもは学習環境に恵まれず、進学の機会も狭められ、結果として子どもが経済的に豊かになる可能性も低くなる可能性が高くなるということだ。これは「貧困の連鎖」が生まれやすい状況といえる。
「貧困」は、学習習慣や生活習慣にも大きな影響を及ぼす。この調査では、「朝食を毎日食べる」かどうかも聞いているが、「食べる」と答えた割合は、「準貧困層」や「貧困層」のほうが等価世帯別収入が「中央値以上」の世帯より低くなっている。子どもが学習習慣や生活習慣という文化資本を身に付ける機会が明らかに少なくなっているのだ。
「貧困層」の子どもは、学習塾に限らず習い事をする機会も裕福な世帯に比べれば少なくなる。子どもの頃にいろいろな経験をし、多様な人間関係を結べば、文化的にも精神的にも豊かになり、ウェルビーイングも高まるとは一般によくいわれることだが、「貧困層」の子どもたちはそうした多様な経験をしたり人間関係を構築したりする機会も限定的にならざるをえない現実がある。
しかもコロナ禍で、そうした現実はいっそう厳しさを増している。近頃「親ガチャ」なる言葉が流行しているが、それが決して戯れ言(ざれごと)ではないことを、この報告書は明らかにしている。それでも大人や政治家は、「貧困層」に生まれ育った子どもに対して「自己責任」という言葉を投げかけるのだろうか。
自己責任と言うのなら、まず機会の平等がなければならない。だが見てきたように、機会の平等はないに等しい。貧困の連鎖が今に始まったことではないとしたら、今、経済的に困窮している保護者自身、「貧困層」の世帯で生まれ育った可能性が高い。
ならば、そうした保護者に対して経済的な支援をするだけでなく、労働スキルの向上や就労支援などの手を差し伸べることも必要だろう。そして何より今、経済的に困窮し、食事の回数を減らしたり進学を諦めている子どもたちに、政府や自治体、さらに民間も含めて総出で支援をすべきではないのか。
未来を担う子どもたちは、この国の財産なのだということを忘れてはならない。
(文:崎谷武彦、注記のない写真:Fast&Slow/ PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部
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