超進学校の高3「東大蹴って、海外大」の深い理由 開成・元校長の柳沢幸雄が語る「日米教育比較」

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――将来的にはより早く、例えば高校の段階から海外進学を目指す生徒も増えるのでしょうか。

それは、私はお勧めしていません。なぜなら、中・高の中等教育と大学以降の高等教育では、個人の成長プロセスの中で形成すべき内容が異なっているからです。中等教育段階は生きる力を学ぶことが最優先であり、そのほかに膨大な量の、基礎的な学問的知識を身につける必要がある。外交的な性格で、基礎的な学問知識を難なく身に付ける事の出来る若者でない場合には、虻蜂取らずになる懸念があります。

“水平型”で学ぶ日本、“深堀り型”で学ぶ米国

――最近は海外の大学ばかりを称揚する傾向にありますが、実は東京大学の学生もハーバード大学の学生も実力はそれほど変わらないという話もあります。その点はいかがでしょう。

確かに大学に入学する段階では、日本の高校生は世界1のレベルだと思います。しかし、大学4年生ともなると東大生のレベルは、ハーバード大の2年生にも負けてしまうような現象が起きたりもします。それは大学教育での鍛え方が違うからです。単純に言えば、勉強量が違います。私もハーバード大で教員として授業を行ってきましたが、あちらの学生は週60時間ほど勉強しています。日本の大学生より圧倒的に勉強しているのです。

日本の高校生は大学入学までに、学習指導要領によって薄く広く“水平型”でいろんなことを学んでいますが、一方で米国の高校生は“深堀り型”の教育を受けています。米国では日本のように全国的な学習指導要領がありません。州ごとに、あるいは教員の好みによって学習内容が異なっています。そのため、深堀り型の米国の教育では、自分で課題を設定し、自分で調べ、自分でまとめる。いわば、PDCAサイクルを回していく形になります。それが米国の教育の基本です。

ちなみに米国の大学の教科書はとても分厚い。例えば、経済学なら微分積分から教えていきます。入学後すぐは、まず基本的な知識を詰め込んでいくのです。理論的な経済学を学ぶためには、数学ができなければいけないからです。日本では、全国どこの生徒でも微分積分を高等学校で習います。しかし、米国の高校生は生徒によって、どこを深堀りしているのかわからない。そのため、大学で改めて基礎的なスキルを習得させる必要がある。そうすると、教科書が分厚くなるのです。

米国の学部教育は徹底した詰め込み型です。しかしその後は、専門分野を深堀りさせ、厚く勉強させる。日本は高校時代に詰め込んで、そのあと大学では、遊ばせてしまうから使い物にならなくなるのです。

――知識を詰め込む段階が日本と米国では異なるとはいえ、そうやって優秀な日本の学生が海外の大学に流れていくようでは、日本の将来の国力に影響しませんか。

教育の目的は、基本的に一人ひとりの力量を最大限に発揮できるような形をつくることにあります。それが巡り巡って国力にとって望ましい形になれば、それはそれでいいことでしょう。ただ、それはあくまで第1目標ではありません。個々人が自分というものをきちんと表現して、自分の個性を大切に生きていくという選択をするのであれば、海外に出たほうがいいでしょうね。日本と比べると海外に同調圧力はありません、忖度そんたくもありません、と言うことができます。

リベラルアーツカレッジで、どんなことが学べるか?

――高校の段階で日本の生徒が諸外国に比べても優秀なのであれば、日本の大学でハーバード大学に比するような教育を施すことはできないのでしょうか。

これから100年経てば、そうなるかもしれません。ただ現状は難しいでしょう。私は東京大学で教えていて、そう思いました。なぜ日本の大学は、ハーバード大のような著名な海外の大学に比肩しうる教育ができないのか。それは日本の大学の教員に教育するという意識がないからです。日本の大学の教員は、自分のことをあくまで研究者として自己規定しています。確かに米国でも、ハーバードやMITなどの研究型大学は、日本と同じように教員は研究者です。ですから、もし日本の若者が海外に進学して徹底的に基礎から勉強したいのなら、米国のリベラルアーツカレッジ(注:アマースト大学、ウィリアムズ大学、スワースモア大学、カールトン大学など)を推しています。リベラルアーツカレッジの多くの教員は、自分を教育者だと自己規定しているからです。リベラルアーツカレッジは教育機関として優れていると思います。

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