子どもの「興味開発」が幸せな人生の土台となる訳 価値観も変動する人生100年時代を生きるすべ

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

3つ目が「帰納的学習体験」です。これは演繹的と逆の意味で、事実を経験しながら、それらを統合する法則やコンセプトを自ら発見していくプロセスを指します。基本的に科学(サイエンス)は帰納的な考え方を採用しています。しかし、日本の教育の学習法は演繹的なものが多く、公式やマニュアルはその最たるものです。確かに演繹法は、たくさんの人間にノウハウをインストールするには有効なアプローチですが、そこに驚きと感動はありません。ところが、帰納法には試行錯誤があり、「なるほど!」という発見の喜びがあるのです。

――帰納的な方法論こそ、これからは重要であるということですね。

私は人生を生きること自体も帰納的であると思っています。演繹的に人生を知ることは面白くない。自分で体験し、内省して、気づいて、価値観をアップデートできるからこそ、人生は面白いのです。

そうやって自分で得た気づきが、例えば、かつて仏陀(ブッダ)が説いたものであったとしても、自分で本を読んでわかったつもりになるより、自身の体験によって深く腹落ちしたほうが理解は深まるはずです。さらに言えば、人生はドラマツルギー的であり、問いとともにあるともいえます。人生は物語のようなサイクルが何度もあり、そこにはいつも問いがある。

私は人生を生きていくうえで、誰しも大いなる3つの問いがあると考えています。それが「何のために学ぶのか」「何のために働くのか」「何のために生きるのか」だと思っています。実はこの問いに明確に答えられる人こそ、「内なる物差し」を持っている人なのです。「外なる物差し」しか持っていない人は、この問いに答えられない。

むろん人生に正解はありません。だからこそ、自分で納得できる解をつくっていくしかないのです。私たち探究学舎が「興味開発」によって、子どもたちの好奇心や探究心を育もうとしているのも、それが子どもたちのよりよい学びを実現するだけでなく、よりよい人生を生きていくために必要なものだからなのです。

役に立つか、役に立たないかの観点を手放すこと

――では、「興味開発」を生涯にわたって続けていくにはどうすればいいのでしょうか。

大事なことは、役に立つか、立たないかという観点を手放すことです。確かに何かの役に立つと考えなければ、やる気が出ない人もいるかもしれません。しかし、「興味開発」「内なる物差し」という視点から学習体験を考えたとき、それが将来どのように役に立つのか説明できることのほうが少ないのです。むしろ将来、人生を振り返ったとき、あの時のことが役に立った、あるいは、意外にもあの時のことが人生に意味をもたらしたというように、役に立ったかどうかは過去を振り返ったときに初めてわかるものなのです。

役に立つことは「機能的価値」を指しますが、もう1つ「情緒的価値」というものがあります。興味開発や自分の好きなものを追求していくことは、基本的に「情緒的価値」を追い求めることなのです。だから、機能的に役に立つことはそれほど多くないのです。

私は探究学舎の授業で「役に立つ」と言ったことはありません。私たちはあくまで子どもたちが「驚き」「感動」する場面にコミットしているのです。

――なるほど。しかし、役に立たないと多くの人は興味を示さないのではないでしょうか。

しかし、私たちはそれをビジネスとしてきちんと成立させています。確かにこれまでの社会なら「役に立つ」と言わなければ誰も買ってくれませんでした。いわば、「外なる物差し」で評価できないものは、これまでビジネスとして成立しなかったのです。

ところが、時代は変わった。「驚き」と「感動」を提供する学習体験というビジネスが市場原理を勝ち抜き、成り立つようになった。これまでビジネスとして無理だと思われていたものがどんどんビジネスとして通用するようになっているのです。人生100年時代を生きるとは、さまざまな変化によって価値観が変動していく時代を生きるということなのです。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事