日本で「性教育」がタブー視されるのはなぜか 「生命(いのち)の安全教育」と日本の課題とは

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「99年に『学校における性教育の考え方・進め方』で使用されますが、日本ではずっと性教育に関して、『性に関する指導』という言葉が使われてきました。教育と指導という言葉には大きな違いがあります。つまり、性に関しては指導であって、学校での学びではないということ。04年に中央教育審議会『健やかな体を育む教育の在り方に関する専門部会』では、学校で取り組むべき課題として、食育と性教育について議論がなされました。しかし、学習指導要領では、受精については取り上げても、受精に至る過程は教えないという、いわゆる『はどめ規定』が現在も残っています。これを根拠として『学校で性交については教えてはいけない』と考えている教員や教育関係者も多く、避妊や性感染症について教えづらい状況が今も続いているのです」

リスク脅迫だけでなく幸せになるための教育を

学校における性教育が進まないもう一つの背景として、政治による教育介入があると田代氏は指摘する。03年には都立養護学校で実施していた性教育を不適切だとして都議が批判し、学校や教員に対するバッシングが起こった。裁判では教員側が勝訴したものの、教育現場の萎縮と性教育の後退を招いたとされる。18年にも足立区の中学校で実施された性教育を不適切だと都議が批判する事態が起こった。

「足立区のときは、区の教育委員会がすぐに対応しましたし、私たちも異議を唱えました。また、世論も都議の言動を問題視し、都立養護学校のときのように、教員が処分されるということは起こりませんでした。私は海外の性教育についても調査を行ってきましたが、教育内容に政治的権力が介入しているのは日本くらいです。中国や台湾なども、性教育義務化の法的基盤があります。日本でも、まずは性教育の法的基盤の整備が必要でしょう」

さらに、日本の性教育の課題として、「脅迫の教育になってしまうこと」があるという。

「生命の安全教育に限らず、『情報化社会の新たな問題を考えるための教材』(文科省)などでも、まずリスクを提示し、怖がらせる内容になりがち。もちろんリスクを学ぶことは必要ですが、リスクを学ぶだけでは幸せにはつながりません。友情の延長線上に愛情があり、恋愛がある。そのポジティブな面を教える必要があるのです」

こうした中、現場で奮闘する教員も少しずつ増えているという。田代氏は、「日々生徒と接し、その幸せを願っている現場の先生たちは、性教育が必要だと感じている」と話す。

例えば10代の意図しない妊娠は、高校中退や貧困を招く可能性もある。そうした事態を避けるには、生徒自身が妊娠や避妊、性的同意やジェンダー平等などについて、正しい知識を身に付ける必要がある。田代氏は公立中学校の教員と協働して「性の学習」の実践づくりに取り組んでおり、手応えを感じているという。

「生徒たちは、こちらが思っている以上に先生を信用しているもの。最初はニヤニヤ聞いていた生徒も、先生が当たり前のこととして話すと、性交や避妊、デートDVといったこともまじめに聞くんです。信頼している大人が性についてまじめに語ると生徒はまじめに捉えますし、何かあったときも相談しやすくなります。性教育=性交のことと思い込んでいる大人も多いですが、性教育は科学的な身体の知識を身に付けるだけではなく、ジェンダー教育や人権教育でもあります。こうした包括的な性教育を通して生徒たちは人権意識を持つようになります。人権侵害という言葉が日常的に使われるようになると、生徒同士の関係もよくなりますし、先生も強圧的な指導をしなくなります」

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事