石角友愛「16歳だった私が、米国で学んだこと」 AIビジネスデザイナー語る「未来の仕事」とは?

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GIGAスクール構想や新学習指導要領が推進される中で、日本の教育はどう変わっていけばいいのか。とくにグローバル化、デジタル化が進み、激動化する社会においては、何が正解なのか、簡単にはつかめない時代となっている。そうした「解のない時代」を生き抜くためのヒントになるものは何か。今回は米国のボーディングスクールなどを経てハーバード大学ビジネススクールでMBAを取得後、現在、シリコンバレーでAI開発会社を立ち上げ、起業家として活躍する石角友愛さんに話を伺った。

16歳で単身渡米を決意、ボーディングスクールに入学

――現在、シリコンバレーやシアトルを拠点に日本にAI導入をする会社、パロアルトインサイトのCEOとして活躍する石角さんですが、子どもの頃はどんなお子さんでしたか。

東京生まれの東京育ちで、高校まで英語もまったく話せない子どもでした。お茶の水女子大学附属の小中高と進んだのですが、小中がいちばん楽しかったですね。成績も悪くはなかったと記憶しています。ガリ勉タイプではなく、当時の自分としては何かに打ち込みたい時期だったこともあって、その対象がたまたま勉強に向かったのだと思います。

――その後、高校1年生16歳の時に、附属高校を中退して米国のボーディングスクールに入学されますが、どのような理由でその進路を選ばれたのでしょうか。

高1の夏に突然、親にアメリカに行きたいと宣言しました。中学では勉強は頑張っていたものの、思春期でもあり、社会に対する疑問や言葉にできない怒りや焦りのようなものを感じていました。でもそれをぶつける先はなかった。附属なのでずっと小学校から同じ友達と、仲良く同じような環境にいて、このまま大学受験の準備をしているだけでいいのか、そう思ったんですね。

本当にこれでいいのか、現状を打破したいという気持ちがふつふつと湧いてきました。アメリカに行きたいというよりも現状を変えたかった。それまでアメリカとの縁は親の出張について行ったり、短期間ホームステイしたりする程度。アメリカのことはほとんど知りませんでしたが、なぜか行きたいと思ったのです。

――その時、ご両親は反対しなかったのですか。

それが本当にありがたいことに、全面的に応援してくれたのです。2人の兄は日本の大学に進んでおり、私も当初は同じ道に進むつもりだったのですが、許してくれました。最近では留学相談を受けることも多いのですが、子どもは行きたいのに親が反対するケースは多いと感じます。大学であれば、自力で行くことも可能かもしれませんが、中高の留学では親の支援は必須なので、その意味でも、両親には感謝しています。

――留学準備は大変でしたか。

私は短期集中型で、目標に向かって一気にやり遂げるタイプです。そのため留学準備期間も「行こう!」と決めてから、半年から10カ月程度でした。その代わり、いくつも学校を受ける余裕はなく、受けたのはたった1校でした。

留学を決めてから英会話学校に通い始めたのですが、やはり短期習得は難しく、高い英語力がなくても授業を受けられるESLプログラム(英語が第二言語の生徒用の授業)があり、全寮制の学校であるという条件の中から、女子校のボーディングスクールを選んだのです。

シェイクスピアやギリシャ神話を読み、議論する授業

――ボーディングスクールに入学して驚いたことは何ですか。

まず宿題が非常に多かったですね。そして政治学など大学のように多様な選択科目が用意されていることに驚きました。ほかにも、アメリカ史だけで5人くらいの先生がいて、どの先生のアメリカ史を学びたいか選ぶことができ、大学のように自分で授業の時間割を作ることができました。日本の高校では学年別に授業を受けますが、アメリカでは学年に関係なく、自分の主体性のもと、学年に縛られることなく、さまざまな形で受けたい授業を受けることができたのです。

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