目指すのは、「AIの民主化」

立教大学大学院「人工知能科学研究科」は、国内の国公私立大学院の中で初となる、AI特化型の大学院だ。研究科開設の狙いについて、同研究科委員長の内山泰伸氏は次のように語る。

「ご存じのとおり、AIは働き方なども根底から変えうる、今後の社会にとって重要な役割を担う技術です。しかも、これまでは最先端技術といえば一部の研究者たちが高度な研究開発を担っていましたが、AI研究はそれとは決定的に違う。あらゆる人が技術開発に参加できるチャンスがあるという、今までになかった技術なのです。

なぜならAIは基本的にソフトウェアだから。相対的に多大な設備投資の必要がなく、誰もが手軽に自分のパソコンからオープンソースで最先端へとダイレクトに関わることができるのです。つまり、AIは民主化できる技術。私たちは、この“AIの民主化”を進めていきたいと考えています」

内山泰伸(うちやま・やすのぶ)
立教大学大学院人工知能科学研究科委員長。2003年東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。イェール大学、宇宙航空研究開発機構(JAXA)、スタンフォード大学などで宇宙物理学の研究活動に従事し、13年立教大学理学部准教授に着任。16年より同教授。20年より現職。高エネルギー天文学を専門とし、近年は応用人工知能研究を推進。日本天文学会第21回研究奨励賞、公益財団法人宇宙科学振興会第5回宇宙科学奨励賞受賞

そこで、同研究科では、文系、理系、学部4年生、社会人を問わず、学生を集めることにしたという。授業も平日の夜間(18時55分~)と土曜日を中心に開講するなど、社会人でも通いやすい環境にした。

「通常、AIの専門学科をつくるとなれば、理系の学生を中心に集めるイメージですが、私たちは理系の研究と文系のコミュニティーをつなげることによる、新たな価値創造を目指しています。私自身、理系の世界で生きてきましたが、本当に役立つ商品やプロダクトを生み出すためには理系だけでは限界があると感じてきました。

中央教育審議会も大学院を“知のプロフェッショナル”の場にしようと強調していますが、これからの大学院は専門分野の越境をどれだけ行っていくかがポイントになるでしょう。とくにどの分野もAIなしではやっていけない時代ですから、本研究科はAIの専門家というよりも、AIを使って社会課題を解決できる人材、つまり、エンジニアよりもプランナーやプロデューサー的な人材を輩出していきたいと思っています」

AIは文系でも2年あれば学べる

こうした考えから、幅広く学生を集めることにしたわけだが、実際、1期生となる20年度の入学者のバックグラウンドは、狙いどおり多様だ。75名の入学者のうち、文系と理系の割合はほぼ半々。社会人が約7割を占め、IT業界だけでなく、会計士や弁護士、医師、シンクタンク、マスコミ業、金融業、中学校の教員などさまざまな人材が集まった。

拠点の池袋キャンパスにて。1期生はさまざまなバックグラウンドの学生がそろった

今の仕事でAIを活用して新たなサービスをつくり出したい、そのためにテクノロジーの基本を学びたいという動機で入学した学生が多いという。しかし、はたしてAIは文系でもマスターできるものなのだろうか。

「今、AI研究の中心となっているのはディープラーニングですが、実用化が進んだのはこの7~8年で、技術としてはまだ発展途上の段階にあります。そのため、科学的な考え方や基礎的なプログラミング技術がある程度備わっていれば1年程度、そういった基礎がない人でもやる気があれば2年で最先端の領域にたどり着くことができます」

実際にそれが可能となるよう、カリキュラムは入学者のバックグラウンドが異なることを前提に設計した。通常、理系の大学院では研究がメインとなるが、同研究科では学部のように基礎的な知識を教える講義科目や実習科目も充実させているという。ただし、文系を甘やかすようなカリキュラムにはしていない。「確かな能力を身に付けて卒業してもらうため、内容は理系と同等。にもかかわらず、皆さん食らいついて本当によく頑張って勉強されています」と、内山氏は話す。

また、AIの社会実装に参加しやすい点も同研究科の大きな特長だ。NTT東日本と豊島区が進めているスマートシティプロジェクトや西武ライオンズとの共同研究、無人店舗の運営など、産官学の連携が多い。さらに教授陣も多彩で、宇宙物理学を研究する傍らAIベンチャーを立ち上げている内山氏のほか、ビッグデータに詳しい経済物理学専門の大西立顕氏や、現在スクウェア・エニックスでゲームAIの開発を担う三宅陽一郎氏など、社会と関わりの深いメンバーが名を連ねる。

学部生や高校生の関心も高めていく

20年度は研究科開設と同時にコロナ禍に見舞われ、当初から授業はほぼオンラインとなった。しかし、コロナ禍以前から、ZoomやビジネスチャットのSlackをコミュニケーションツールとして使うことを決めていたので、とくに大きな問題はなかったという。

「ただ、オンラインだけでは抜け落ちる部分もあることがよくわかりました。やはり自然発生的な雑談こそが、新たな発見や価値を生むんですよね。せっかく多様なバックグラウンドを持った学生たちが集まっているので、お互いに顔を突き合わせて議論する機会をより大事にしていきたいです」

そんな厳しい状況ではあったが、内山氏は想定以上の手応えを感じているという。

「本研究科の多様性はやはり大きな特色になっています。年齢も20代、30代、40代以上の方々がちょうど3分の1ずつと幅広い。上の世代では会社で決定権を持っているような各業界の第一線で活躍している人が多く、中には某有名シンクタンクの研究員やテレビ局のディレクターなども。その経験と熱意が若年層のパワーとうまく化学反応を起こしており、互いに好影響を与えています。

人生100年時代、40代以上は学び直さないと価値創造に参加できませんし、若い人だけでも価値は生まれにくい。これからは年代を問わず学び続けるスタイルの大学院が日本で大事になるでしょう。そんな新たな大学院の事例になるといいなと思っています」

若手とベテラン社会人が互いに刺激を与え合い楽しそうに学んでいるという

とくに社会人学生は、キャリアや人脈があるため、ビジネスの現場からデータ提供してもらうなどの企業との交渉が非常にスムーズだという。そのため、「学生と教員という上下関係ではなく、互いにフラットにコラボレーションしながら最先端の研究が行えるメリットも感じています」と内山氏は語る。

1期生と同様、今春入学の2期生の募集も倍率は2倍ほどあったという。22年度からは博士課程もスタートする予定で、将来的には学部の段階まで学科を広げることも検討中だ。今後の展望について、内山氏はこう語る。

「まずは産官学のプロジェクトを活性化させ、価値創造の成果事例をどんどん生み出していきたい。そして社会課題の解決に貢献するため、本研究科の卒業生が連携し合える仕組みもプロデュースしたいですね。さらに、学部生や高校生にAI研究への道筋を示し、若い人たちの関心を高めていくことも考えているところです」

(写真はすべて内山泰伸氏提供)