だから、日本では「戦略的価格」と言った場合には、ダンピングともいわれそうな、大胆な低価格のことを指す。
したがって、バブルであったにもかかわらず、インフレ率はそれほど上がらなかった、という「バブルでインフレでなかった」第1の謎(渡辺努氏の一連の著作のうち、もっとも野心的な名著『物価とは何か』においても触れられている)、そして、95年以降も大幅に価格が下落する本当のデフレが起きず、ほぼゼロかほんのわずかにマイナスの物価変動率であった、「デフレスパイラルにならなかった」第2の謎、この2つの謎が解けてしまう。
同じ価格に執着して頑張る戦略という言い方もできなくはないが、それは結果としての現象であって、日本企業の戦略は「価格以外のところで頑張る」ということである。
これは、実は、吉川洋東京大学名誉教授の歴史的な名著『日本経済とマクロ経済学』(92年出版)で明快に示されているように、日本企業あるいは日本経済にとって、輸出主導であったことは一度もなく、輸出はあくまでバッファーとして使われてきた、ということだ。
「素晴らしい日本モデル」を引きずり続けた
どういうことかというと、日本国内が不況になって、需要が減退したときに、雇用を維持するために、設備の稼働率を落とさないために、生産量を維持するために、輸出で補ったのである。
この場合、状況によっては、ダンピングと非難されるわけであるが、しかし、これはダンピングという低価格戦略なのではなく、とにかく売れ残りをさばくのと同様に、生産量が先に決まっていて、それを世界市場に放出した結果、ついた値段が安かった、ということなのである。これが日本経済の安定化メカニズムである。
問題は、これが70年代から80年代初頭までの二度のオイルショックを乗り切るためには、長期的な視野に基づく素晴らしい日本モデルであったのだが、その後も、このメカニズムを捨てるべき時にも、引きずり続けたことである。




















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