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「失われた30年」の謎を解くたった1つの行動原理とは?日本の「現状維持志向」がデフレを生んだ…30年間、失ってきたのは新システムに移行する機会

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だから、日本では「戦略的価格」と言った場合には、ダンピングともいわれそうな、大胆な低価格のことを指す。

したがって、バブルであったにもかかわらず、インフレ率はそれほど上がらなかった、という「バブルでインフレでなかった」第1の謎(渡辺努氏の一連の著作のうち、もっとも野心的な名著『物価とは何か』においても触れられている)、そして、95年以降も大幅に価格が下落する本当のデフレが起きず、ほぼゼロかほんのわずかにマイナスの物価変動率であった、「デフレスパイラルにならなかった」第2の謎、この2つの謎が解けてしまう。

同じ価格に執着して頑張る戦略という言い方もできなくはないが、それは結果としての現象であって、日本企業の戦略は「価格以外のところで頑張る」ということである。

これは、実は、吉川洋東京大学名誉教授の歴史的な名著『日本経済とマクロ経済学』(92年出版)で明快に示されているように、日本企業あるいは日本経済にとって、輸出主導であったことは一度もなく、輸出はあくまでバッファーとして使われてきた、ということだ。

「素晴らしい日本モデル」を引きずり続けた

どういうことかというと、日本国内が不況になって、需要が減退したときに、雇用を維持するために、設備の稼働率を落とさないために、生産量を維持するために、輸出で補ったのである。

この場合、状況によっては、ダンピングと非難されるわけであるが、しかし、これはダンピングという低価格戦略なのではなく、とにかく売れ残りをさばくのと同様に、生産量が先に決まっていて、それを世界市場に放出した結果、ついた値段が安かった、ということなのである。これが日本経済の安定化メカニズムである。

問題は、これが70年代から80年代初頭までの二度のオイルショックを乗り切るためには、長期的な視野に基づく素晴らしい日本モデルであったのだが、その後も、このメカニズムを捨てるべき時にも、引きずり続けたことである。

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