渋幕を「変わった学校」から超人気の「求められる学校」へと押し上げた"土台となる考え方" 言わなくても「自分から学ぶ子どもになる」秘密
私も学園長講話の一部を聞かせていただきました。講話では、壮大な図書館の本を一冊一冊手に取って歩いているようなリベラルアーツの世界が広がっています。
学園長講話は、中1で「人間関係」、中2で「自我の目覚め」、中3で「新たな出発(創造力)」、高1で「自己の社会化」、高2で「自由とは」、高3で「自分探しの旅立ち」をテーマに語られます。
そして、その学園長講話の軸となっているのが「自調自考」です。卒業生に学園長講話の思い出について尋ねると、「真面目に聞いていた生徒ではなかったんで……」と多くの方が苦笑します。しかし、「覚えていることはありますか」と聞くと、「『自由とは』については時折思い出すんですよね」と自身の人生につながっている言葉についてポツリポツリと話し出す。
10代の感性にじわりじわりと染み込んでいる――。そんな学園長講話の影響力を感じさせられました。
ある卒業生は学園長講話をこう振り返ります。「今考えると、すごくいい話をしてくれていたのですが、中高生時代の私は校長講話(当時)の内容をいまいち理解できていませんでした。でも、『自調自考』の精神もそうですし、教養の大切さもいつの間にか染み込んでいました。特に、覚えているのは『きみたちはすごくかけがえのない人材なんだ。日本を背負って立つ人間になるんだよ』といい続けてくださったこと。いつの間にか、社会を支える人間にならなければ、と思っていました」
教育とは「環境設計」です。中高生の時点で、学園長講話のすべてを理解することは難しいかもしれません。しかし、リベラルアーツの海に浸り続けることで、知らぬ間に全身に浸透していく。そんな効用が学園長講話にはあるのではないでしょうか。
管理主義的な教育から主体性を養う教育へ
今、日本の学校教育は少しずつ管理主義的な教育から主体性を養う教育への転換が進められてきています。しかし、渋幕開校時の40年前は校内暴力がピークの時代。少年少女たちの荒れが問題となり、いかに厳しく管理をするかに重きが置かれていました。そのため、管理教育を前提とした生徒指導に重きを置く学校が大半だったのです。
その中で、「自ら考える」ことを肯定する渋幕は「変わった学校」と見られていました。しかし、40年経った今、中学入試の一次入試が2〜3倍、二次入試が7〜10倍の倍率を誇る人気校となっています。「変わった学校」が「求められる学校」へと変わっていったのです。
生徒や卒業生からしばしば飛び出すのが「渋幕的自由」というキーワード。2022年度入学式で、新校長に就任された田村聡明先生が式辞で、「渋幕的自由という言葉が生まれたように、本校は自由な学校です。自由は個人の尊厳や権利を尊重するところに生まれます」と述べられました。
では、渋幕的自由とは何なのでしょう?取材では、卒業生が部活動でのエピソードを話してくれました。
「私は高校3年生のとき、多くの生徒が引退するタイミングで抜けずに、自分の納得がいくまで部活動をやり切りたいと考えていました。勉強時間は限られていたので、結局、偏差値の高い大学には行けず、受験結果から見れば失敗だったかもしれませんが、生徒の情熱を大事にし、やりたいことを思い切りやらせてくれる環境は非常にありがたかったです。社会に出て、このときに打ち込ませてくれてよかったなと感じています。今振り返ると、渋幕は自分で挽回できるような力を育てようとしてくれていたのだと思うのです」