教育研究者が懸念「アメリカの失敗を後追いする日本」、"公教育"どうあるべき? 教育省廃止に脱DEI…トランプ政権の影響は?
確かに、主体的・対話的で深い学びが推進されている一方で、テスト至上主義の教育観から抜け出せない、学習スタンダードで厳しく子どもたちを管理しているなどの現場はあり、アメリカの状況が他人事とは思えないところがある。
そんな中、アメリカでは自国第一主義を掲げる第2次トランプ政権の誕生によって、新たな混乱が生じている。教育省廃止や脱DEIなどが推進され、教育現場にもすでに大きな影響が出始めている。今後、アメリカの教育現場はどうなっていくのだろうか。
「落ちこぼれ防止法からの一連の流れを受け、各州の教職員組合は危機感を抱いてストライキを始め、それを保護者や生徒も支える形で2018年頃には全米へと新自由主義教育への反発が波及していきました。いわば民主主義の再生が進み、子どもや教員の権利の保障につながっていったのですが、トランプ大統領の再登場によってその流れはまた逆戻りとなるでしょう。保守派は自己責任を求めます。私がいただいたフルブライト奨学金もなくなると聞いていますが、構造的な不平等や格差が無視される社会になっていくのではないでしょうか。ただ、そうした抑圧に立ち向かうエネルギーがあるのも、アメリカの面白いところだと思います」
今後アメリカの変化がどのような形で日本の教育に影響を及ぼすのかはわからないが、日本でも今、教育格差は広がっている。さらに、教育改革や働き方改革が推進されているものの、不登校やいじめは増え続け、教員の精神疾患の増加や教員不足も深刻化しており課題が山積している。
鈴木氏は、大前提として「教員が尊敬される世の中にならなければ、真の教育改革はできない」と語る。そのうえで、現在検討が始まっている次期学習指導要領について、こう述べる。
「今の教員や子どもたちは忙しすぎます。教員が勤務時間内に翌日の授業準備ができ、休憩もしっかり取れるよう標準授業時数はもっと削減すべきでしょう。また、そもそも文科省が学習指導要領を法規のように扱ってきたことも、問題だと思います。学習指導要領には法的拘束力はなく、大綱的な基準でしかないはず。文科省が『絶対に守らなければいけないものではなく、あくまで基準』という認識を示すことで、現場は目の前の子どもたちに必要だと思われるものについて柔軟に対応できる裁量が生まれるのではないでしょうか。学びのスタイルも、教育現場の課題を踏まえれば、授業は午前中だけにして午後は1人ひとりの興味・関心に寄り添うなど、柔軟に変えたほうがよいと思います」
社会が目まぐるしく変わっていく中、日本はどのような公教育を目指すべきか。鈴木氏は次のように語る。
「私の原点となった母校のアメリカの高校では、あえて危険の中に放り込まれサバイブするキャンプなどもあって、人間らしい感性を育んでもらいました。卒業生には、スポーツ選手や軍人、政治家、アーティスト、コメディアンなどもいますが、学校が生徒1人ひとりのやりたいことや強みをとことん伸ばしてくれたからこその活躍だと思います。そうした教育は、公教育でもできるはず。AIの時代が到来するからこそ、自分の考えを人前で話す力、スポーツなどを通じたリーダーシップなど、人間らしい感性を大切にした教育が必要だと考えています。ICTについても、あくまでツールと捉えたうえで、単なるテスト対策ではない、豊かな学力観、教育観を持って活用すべきです」
(文:國貞文隆、注記のない写真:wavebreakmedia/PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部
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