山口真由が「成績優秀でも社会ではポンコツ」と苦しんだ学校と社会の「評価差」 受験でひたすら有利なのは「読んで暗記」の能力
正直、私の「読む能力」が今流行りの能力ではないことはよくわかっています。日本の学校教育では培えなかったと感じるのは、人前で話すスキルです。社会に出てからは特に、メールや書面でやり取りするより、打ち合わせや会議など口頭でのコミュニケーションがメインです。聞かれたことをパッと思考して話すことや、他の人の意見に反論すること、反論をパーソナルに捉えない術などは、小学生の頃から訓練しておくとよいのでしょうね。
海外に目を向けると、アメリカでは学校でパブリックスピーキングを学ぶ機会がありますし、インドや南米の人はとにかくよく喋ってコミュニケーション力が高い。読み書きより先に、人前で話す訓練を積んでいるのかもしれません。一方で日本は、大量のインプットに対してアウトプットはテストのみ。人前での発表も、その場で思考しながら話すのではなく、事前に書いたものを読むイメージですよね。
日本もアメリカ同様、学校教育のカリキュラムに「話すこと」に関する学習や試験を盛り込むべきです。私は、日本の学校教育で養われる力と社会に出て求められる力がまるで異なること、学校教育の評価基準と社会人としての評価基準があまりにかけ離れていることを危惧しています。
──確かに違和感がありますね。その差を埋めるためには、例えばどのような機会があるとよいでしょう。
大学で教えている立場として言いたいのは、社会や企業が大学の存在を軽視せず、大学教育に何を求めるかを示してほしいということです。そもそも、膨大な時間をかけて制作する卒論と関連する分野で就職できている学生は、ほとんどいないのではないでしょうか。せっかくの大学での学びが、社会においては生かされることが少なく、ここに教育と社会の分断が生まれてしまうのです。
先日、ドラフト型の採用イベントを発信するABEMAの「キャリアドラフト」という番組に出演した際、プレゼンした学生が誰一人として大学での勉強内容について話さなかったことにショックを受けました。アピールのネタとして出てくるのは、サークルやアルバイト先のエピソードばかり。これは、勉強では彼らのアイデンティティーを形成できていないことを物語っています。
実際の就職活動においても、エントリーシートに書くネタといえば、サークルかアルバイトが鉄板ですよね。もし、私が「学生時代は勉強に打ち込んでオール優でした」とでも書こうものなら、「ガリ勉で使えなさそう」と企業には見向きもしてもらえないでしょう。企業側が大学に求める教育内容を明示し、それに大学が応える。まずはこれだけでも、大きな一歩になるでしょう。現状は大学だけに限らず、教育界全般と社会とのコミュニケーションが少なすぎるように感じます。