高校野球・甲子園の影響力から考える、「勝利至上主義の部活動」の行く末 宣伝や愛校心に役立ててきた学校の身勝手

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健康上の問題だけではない。野球に没頭するあまり、多くの時間を犠牲にしてきたことも、高校球児に大きなマイナス作用を生んだ。

練習ばかりに時間を充て、それ以外の時間を確保しない。勉強もさることながら、遊びの時間までを奪い、選手たちは甲子園を目指すだけのロボットと化した。元甲子園球児が犯罪者となったというニュースは枚挙にいとまがない。先日も甲子園優勝投手が逮捕された。

高校野球の指導者になるために教員を選ぶ人が多くいる理由

さらに、ここ数年、明るみになってきたのが、指導者の労働時間問題だ。今年4〜5月、日本高等学校野球連盟と朝日新聞が実施した、加盟校3818校へのアンケートによると、「1カ月のうちの平均的な休み日数」は「2~3日」との回答が27.2%で最も多く、次いで「4~5日」が23.9%、3番目が「無休」の18.0%だったという結果が導き出された

ほとんど休みをもらえない指導者の時間外労働は、「働き方改革」が叫ばれる昨今の社会情勢と真逆をいくものとして問題視された。そして、これらは高校野球だけではなく部活動の根本的問題となっているケースが多い。

ここには日本における部活動の問題、スポーツクラブのあり方が指摘されるべきだろう。その問題点とは、日本のスポーツ、高校野球がそうであるように、多くの競技が学校教育の中で成立してきたという歴史を抜きに語れないということである。

氏原英明(うじはら・ひであき)
スポーツジャーナリスト
1977年ブラジル・サンパウロ生まれ。奈良新聞勤務を経て2003年に独立。以降、高校野球に加えて大学、社会人プロと野球界の全カテゴリーを取材する。夏の甲子園大会は03年からすべて現場で取材している。著書に『甲子園という病』(新潮新書)、執筆協力に菊池雄星著『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋)がある
(写真:氏原氏提供)

スポーツは元来、楽しむためのものだった。しかし、体育や部活動として学校教育に取り込んだことで、本来の目的から変化した。努力や忍耐、根性といったものが大事とされる「教育」となったのだった。それはスポーツ指導者ではなく、教員なしでは導けないものだった。

筆者は野球指導者が交流するオンラインサロンを運営しているが、メンバーの部活動指導者の多くは野球の指導者になるために教員になった方々ばかりだ。言い換えれば、高校野球の指導者になる手段として教員になる道を選んでいる。

高校野球の監督になるためには、教員になる以外でも方法がないわけではないが、少数だ。そう考えると、日本の高校スポーツは学校教員の手を借りなければいけないという状況をつくっているといえる。

それでも、部活動に励む生徒の一生懸命さが人々の心を打っているから愛されるところはあった。そこにスポーツ指導を目的として教員を選んだ先生たちと良好な関係性が生まれてきた。

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