高校野球・甲子園の影響力から考える、「勝利至上主義の部活動」の行く末 宣伝や愛校心に役立ててきた学校の身勝手

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いわば、研鑽を積んできた技術を披露する場=試合こそがプレーする選手たちにとって貴重な機会となり、紅白戦、練習試合、公式戦と重ね、その頂上にあるのが「甲子園」だった。

今のような私学全盛でなかった時代は、おおよそすべての学校が「目指せ甲子園」を掲げた。目標に向かうその姿が地域にとって光になり、希望になった。

高校野球=甲子園は少しずつ形を変えていく

戦後の夏の大会を2連覇した小倉高校のエース・福嶋一雄(故人)さんが、かつてこんな話をしていた。

「優勝して汽車に乗って小倉へ帰ったのですが、駅に着いたら、ファンの人たちが出迎えてくれて、身動きができないほどでした。えらいことをしたものだな、と。暗い世相の中に、ぽっかり青空が見えたという感じなんでしょうね。われわれ以上に喜んでくれた。私自身が高校野球を盛り上げたとは思っておりません。野球というスポーツを通じて、皆さんが元気になられてね、それがよかったのかな、と。今のように、高校野球が盛んじゃありませんでしたが、それでも、皆さんが見に来て、応援していただいて、そういう人たちに囲まれながら、好きなスポーツができたことは幸せでした」

甲子園が愛された理由はそんなところからだった。戦後復興など、地域の人々にとって希望になる。高校球児が一生懸命にプレーする姿が人の心を打ち、甲子園、部活動は正しいものとされた。

高校野球や部活動の記事が感動ストーリーをもって伝えられることが多いのは、そのためだ。チームのために、体が悲鳴を上げているのに投げ抜く。あるいは試合に出られなくてもじっと我慢する。震災の傷を経て……など。

そこから将来を嘱望されたスター選手やアイドルが生まれるようになり、高校野球=甲子園は形を少しずつ変えていくようになる。

すべての物差しが甲子園を中心に語られるようになり、多くの人々が躍起になった。

勝つためのたくさんのことが、すべて美談になる。長時間練習や上位下達の練習方式、将来有望な中学生の勧誘まで。冷静に考えれば常軌を逸した勝利至上主義でしかないが、それらさえ正しいものとされた。

甲子園の影響力を多くの人々が感じたからこそ、みんながそこを目指したのである。そして、甲子園のような大舞台を目指すことこそ、部活動の正しいあり方のように思われたわけである。

勝つことばかりを目指すあまり、いろいろなものを犠牲に

しかし、その部活動のあり方に意見が出てくるようになった。勝つことばかりを目指すあまり、いろいろなものを犠牲にすることははたして正しいのか。教育現場において見過ごすべきではないと近年になって問われるようになったのだ。

その一つは高校生の体についてだった。甲子園や甲子園を目指す舞台を前に「負けられない試合」ではチームの大黒柱が決まって登板した。

「あいつで負けたら仕方がない」
「○○と心中する」
「あいつで勝ってきたチームですから」

指揮官の信頼といえば聞こえはいいが、エースに多大なる負担をかけ、彼らは悲鳴を上げる体の声を無視して奮闘し続けた。

甲子園の決勝戦でノーヒットノーランを達成した横浜高校の松坂大輔投手がプロ入り後、30歳を前にして、ひじの靱帯を損傷。世界的にも有名な大手術を受け、1年間のリハビリを要するなどして、その後、大きくパフォーマンスを落としたのは有名な話だ。

松坂投手のような例は、まだいいほうだ。彼はプロで活躍したし、メジャーリーグにも挑戦した。言い方は悪いが、多額のお金を稼ぐことはできた。だが、中には、そうなることなく、高校野球に熱を上げたあまり、その後の野球人生に影を落とした選手は少なくない。

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