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脱原発を達成したドイツの危ういエネルギー事情 ウクライナ侵略で価格高騰、経済安全保障に難

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東京電力福島第一原発の事故を機に、脱原発を決めたドイツ。12年の時を経てすべての原子炉が停止したが、情勢は一変しており、懸念が色濃い。

最後まで稼働していたネッカーヴェストハイム原発
最後まで稼動し、運転を停止したドイツの原発(写真・Gettyimages)

2023年4月15日、ドイツで稼働していた3基の原子炉が停止した。これでドイツで発電する原発はなくなった。反原発運動を担ってきた人々を中心に、4月15日は脱原発の歴史的達成の日となった。

2011年3月の福島第一原発事故を受けて当時のアンゲラ・メルケル政権は、その時点で稼働していた17基の原発のうち、古い原発7基と事故のため停止中だった1基を稼働停止とし、残りの9基も2022年末までに段階的に廃止することを法制化した。

最後に残ったのは3基だったが、ロシアによるウクライナ侵略によって、エネルギー供給が不安定化したことから、2022年末の廃止期限は、4月15日まで延長された。暖冬だったこともあり、懸念されていた冬場の電力不足もなく、この日をもってドイツの原発の歴史に一つの幕が下ろされたのである。

理想主義的な運動が実を結んだ

ドイツで最初の原発が稼働したのは、1961年6月であり、2度にわたるオイルショック(1973年、79年)でエネルギー安定供給が課題となる中、1970年代、80年代と原発建設は進められ、40基近い原子炉が稼働した。最盛期の1997年には、総発電量の30.8%を原子力エネルギーが賄っていた(2022年は6.5%)。

ただ、1970年代半ばには、ドイツ南西部バーデン・ヴュルテンベルク州ヴィールでの原発建設反対運動が起き、それを嚆矢に各地で反原発運動が高揚した。そうした住民運動が結びついて1980年1月、連邦レベルで「緑の党」が発足し、環境運動はドイツ政治の大きな潮流となっていった。

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