75年前の1946年4月10日は、日本で女性が初めて国政選挙に参加した日だ。この46年衆議院議員選挙(最後の帝国議会選挙)では女性が躍進し、選ばれた国会議員の女性比率は実に8.4%。当時の新聞は「婦人の進出目覺(めざま)し」などと驚きをもって報じている。当時の8.4%は今よりも重みがあり、今日の「男女平等ランキング」上位の国々をもしのぐ数字だった。しかし、衆院選でこの記録が破られたのは59年後の2005年。46年選挙の躍進は、偶然の幻だったのだろうか?
本稿では、当時の選挙に婦人向けラジオ番組が与えた影響に着目し、筆者の研究の一端を紹介する。ここで問うたのは「婦人向けラジオ番組の放送は女性の投票率を上げたのか。そしてそれは女性候補者の集票に貢献したか」。先回りをすると、その答えはイエスだ。
婦人向けラジオ番組は45年10月1日に放送開始。連合国軍総司令部(GHQ)民間情報教育局(CIE)ラジオ課の指導の下、日本放送協会が制作した。番組は戦前のような教養番組ではなく民主化教育番組と位置づけられた。女性放送ジャーナリストの先駆者、江上フジ氏がプロデューサーに就き、演出は主に20代の女性たちが担当したという。番組制作の実態は先行研究によって明らかにされている。
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読み頂けます。
登録は簡単3ステップ
東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
おすすめ情報をメルマガでお届け
無料会員登録はこちら
ログインはこちら