希代のカリスマ退任でスズキが立ち向かう難局 超長期政権に終止符
「生涯現役」を公言してきたおやじが、ついに経営の第一線から退く。
「ばいばい。ばいばい」
約43年にわたりスズキのトップに君臨した鈴木修会長(91)。浜松の弱小メーカーをグローバルな自動車メーカーに育て上げたカリスマは2月24日に開いた退任会見の最後に、小さく手を振ってそう口にした。
修会長は、同日に発表した新たな中期経営計画に触れ、「(電動化技術の強化を軸とした)着実な実行を推進するために、役員体制を一新して後進に譲ることに決めました」と説明。今年6月で取締役を退任する。
修氏がスズキの社長に就いたのは1978年で、48歳だった。当時、トヨタ自動車工業の社長は豊田英二氏、日産自動車の社長は石原俊氏、ホンダは2代目社長の河島喜好氏。それから他社ではトップが何人も代わる中、社長兼会長、会長と肩書は違っても、スズキを牽引してきたのは紛れもなく修氏だった。
社長就任の翌年に発売した軽自動車「アルト」では、「エンジンを取ったらどうだ」とまで言う修氏の檄で徹底的にコストを削り、既存の軽より2割以上安い47万円で売り出した結果、大ヒット。販売店の経営者の家族構成まで把握し、ディーラー大会や企業訪問の際に「オヤジは元気か」「息子も一人前になったな」などと声をかける。販売店との強固な関係を築き上げ、33年連続で軽自動車トップの座を守った。
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