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沖縄県初の芥川賞作家、大城立裕氏に学んだこと[上] 「政治を文化に包み込むことが大事」と説いた沖縄の知性

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10月27日、作家の大城立裕氏が95歳で亡くなられた。大城氏は沖縄初の芥川賞受賞者で、戦前上海にあった東亜同文書院大学出身、琉球政府と沖縄県庁の高官を務めながら小説、エッセー、琉歌、現代版組踊(琉球王朝時代からの伝統を継ぐ歌舞劇)など多くの業績を残した沖縄を代表する知識人だ。筆者は大城氏から多くを学んだ。筆者の父は東京出身だが、母は沖縄本島から西100キロメートルにある久米島の出身だ。筆者は、日本人と沖縄人の複合アイデンティティーを持っている。仮に「日本人か沖縄人かどちらか選べ」と迫られたならば、「私は沖縄人です」と答える。このような認識を持つようになったのは、大城氏に触発されたところが大きい。

今から12年前の2008年11月、沖縄の新聞社から大城氏の手紙が転送されてきた。筆者が池上永一氏の小説『テンペスト』について『週刊プレイボーイ』で同氏と対談したことに関して、「まだ読んでいないが広告で対談を知り、一言伝えておきたいことがある」と前置きしたうえでの注意喚起だった。その手紙が今見つからず、記憶に基づいて記すが、池上氏が創作琉歌としているものが清水彰編著『琉歌大成』からの無断転載で、しかも改行から琉歌の基礎知識に欠けていることが明らかだとの指摘だった。筆者は、大城氏からの指摘を『テンペスト』の版元に伝えると、増刷分から参考文献に琉歌集を加えるとの連絡があった。筆者がその旨を大城氏に電話で伝えた。大城氏は「若い才能を潰すようなことはしたくないが、沖縄文化にとって本質的な問題なので批判記事を書く」と言った。

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