財務省の森友学園への国有地売却をめぐる決裁文書の改ざん問題は、戦後政治の中でおそらく初めて、公文書の重要性を国民に強烈に訴えた。一部の文書の抜き取りや、数カ所の語句の削除ではなく、全編にわたる各所で削除が行われていた。仰天せずにはいられない。何か大事なものを汚されたような感覚を持つ向きも多かったに違いない。「決裁文書は重い、事後的な修正はありえない」という元官僚の発言もさまざまな場で掲載された。
だが、公文書を研究してきた行政研究者としては、こうした状況に強い違和感がある。忘れることができないのは、政府の研究会の一員としてフランスの公文書館へのヒアリングに行ったときのことである。「科学的な文書管理が重要だという主張だけでは、各省を説得することはできない。各省が説得されるとすれば、そうした文書管理こそ各省にとって利益になるという言い方だ」というプラグマティックな発言であった。
つまり、公文書における記録保存の正当性だけでなく、その利益を各省の側に了解されてこそ、公文書管理制度が成り立つというのである。しばしば、欧米では公文書は文化遺産とされているといった主張が日本でなされているが、それはあくまでも行政の現場の執務と折り合いがつくからこそ成立するものなのである。
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