名古屋から世界に向けて高く跳躍しようとしているのは、長い伝統の世界に身を置く人々だろう。「名古屋をどり」を継承する日本舞踊西川流の若き家元、西川千雅さんにその心意気を聞いた。
西川流が海外に進出したのは、割と早い時期です。私の祖父・鯉三郎と父・右近が1965年、アメリカで公演をしたのが最初。当時はテレビにも出演し、ワークショップと称してメイクや振り付けを紹介し、評判を得たそうです。
その影響もあり、69年に生まれた私は幼稚園の頃からアメリカンスクールに入れられました。もちろん、物心ついた頃から日本舞踊を教え込まれましたが、同時に英語も学ばされていたのです。そして15歳になった84年には、私自身もアメリカへ初の海外公演に行きました。当時は自分たちでお金を集めながら、テキサスからロサンゼルスまでを巡回。その4年後にはブロードウェーのプロモーターに招かれ、サンフランシスコからニューヨークまで、北米大陸を横断する公演をこなしました。
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