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日本に巣くう無責任体質 競技場、財政、安保法制

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解体された国立競技場。東京五輪・パラリンピックに向けた新国立競技場の建設は問題だらけだ(時事)

自民党の文化芸術懇話会という会合で、批判的なテレビを懲らしめるために広告主である大企業に働きかけようとか、沖縄の県民世論が左傾化しているのを何とかしたいとか、らちもない与太話で議員らが気勢を上げていたことが問題になった。政治家の一部が知性と品性を欠いていることは確かだが、そのことに目を奪われて、日本の政治権力におけるもっと重大な欠陥を見過ごしてはならない。

今、安全保障法制と並んでいくつかの重要な政策決定が行われようとしている。それらに共通しているのは、かつて丸山眞男が戦争に至る日本の政策決定を分析する中で析出した「無責任の体系」である。丸山によれば、日本における無責任な政策決定には次のような特徴がある。

第一に、現実を直視せず、希望的観測で現実を認識したような自己欺瞞に陥る。第二に、既成事実への屈服。事ここに至っては後戻りできないとあきらめ、誤った政策をズルズルと続ける。第三に、権限への逃避。誤った政策が事態を悪化させることを認識しても、自分にはそれを是正する力はないと、自分の立場、役割を限定したうえでそこに閉じこもり、政策決定の議論から逃避する。

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