京都大学名誉教授 片山一道氏に聞く 『骨が語る日本人の歴史』を書いた

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縄文人は南方起源ではなく、「弥生人顔」も存在しない──。人々の生身の姿を復元する「身体史観」を提唱する。

骨が語る日本人の歴史 (ちくま新書)
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──日本人の「基層」をなす、縄文人は南方から来たのではないのですか。

南方起源説は沖縄の「港川(みなとがわ)人」化石を代表選手のようにして、つい最近まで定説のように考えられてきた。ところが、実際は広く東アジアの大陸部から集まってきて、その人々が混和融合したようだ。縄文以前、旧石器時代人の化石の本州域での発見例は皆無に近い。良好な人骨化石が発見されないかぎり、具体的な人物像を描くに至らない。

──日本史は「日本人の歴史」ではない?

日本史として教えられているものは、日本の文化と社会の歴史なのだ。それは似て非なるもの。歴史だから当然人間が主人公のはずが、生身の日本人あるいは日本列島人の実像は教科書などにろくに出ていない。

縄文人はどういう人かと学生に質問すると、その答えにがっかりする。縄文土器を作って、狩猟採集の生活をしていたとかはよく知っている。どんな顔で、体の特徴はと聞くと、同じ日本列島に住んでいた祖先であるのに答えられない。多くの人は縄文人を現代人と同じように思っている。弥生時代の人物像も同様かもしれない。だが、実は全然違う。

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