苫野一徳が考える「道徳を生かした市民教育」とは 日本は憲法や民主主義の本質を教えていない
今、「憲法は国民から国家権力へあてたもの」だということを知らない若者があまりにも多い。憲法や民主主義は、人類の英知です。つい最近まで人種や宗教が違う人間は殺して当然という時代でしたが、この2~3世紀の間に精神の大革命が起こり、私たちは今、かつてに比べれば信じられないような時代に生きています。
このすごさをもっと教材化するといいと思うのです。私はよく「もし前の時代に戻りたくないなら、自由の相互承認を進めていく必要があり、その担い手は君たちだ」と、若者や子どもたちに熱く語っていますが、そうやって人類の歴史とともに説明するとちゃんと彼らの心に突き刺さります。
中学3年生くらいなら、「多様で異質な人たちが共に生きるとはどういうことか」ということまで考えてほしいですね。この問いから「人類は1万年かけて自由の相互承認にたどり着いたがどう思うか」「今、世界的に民主主義の危機が指摘されているが、君たちはどうするか」など、かなり高度な探究や「考えて議論する道徳」ができるでしょう。当然、いくつもの内容項目もクリアできるはずです。
この流れで憲法も扱うのです。国家権力が非常に恐ろしいことも歴史が物語っていますが、私たちの権利や自由を守るためにその国家権力を縛るものが憲法。憲法の精神は、国民1人ひとりがしっかり守って生かしていかなければいけない。日本はそういった国民主権の大切さや市民社会の担い手である意識を教育してこなかったと思うし、日本のいろいろな問題はここに集約されている気がします。
憲法と民主主義の本質を子どもの心に突き刺さるように教材化し、それを基に議論する道徳科はつくれると思います。
――今の教育現場に伝えたいことはありますか。
自分たちにできることがたくさんあるということを知ってほしいですね。SNSで「#教師のバトン」プロジェクトが炎上しましたが、本来は学校単位で考えるべき内容のツイートもたくさんありました。
例えば、残業や土日出勤の問題は校長に言うべきだし、自分たちもタイムマネジメントについて考えるべきことがたくさんあるはず。国や行政が形式的にできる整備には限界があり、最後は現場なのです。ネット上で匿名だと威勢がいいのに、当事者として声を上げない点は大きな問題ではないでしょうか。
自由や多様性の相互承認の感度を育むのが学校なので、原理的にも先生はもっと自由でいい。意見も服装も髪型も自分らしく表現すればいいのです。そのためには、対話の文化が必要です。安心して気軽にものが言えて助け合える職場をつくれば、学校は活性化して授業もいろいろなチャレンジができます。そうでないと空気を読み自縄自縛に陥ってしまう。管理職や教育委員会は先生たちの自由を守り、過度な指示は控えてしっかり支え、対話の文化をつくること。そんな現場に変わっていってほしいと思います。

哲学者、教育学者。熊本大学教育学部准教授。『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『ほんとうの道徳』(トランスビュー)など著書多数
(文:編集チーム 佐藤ちひろ、注記のない写真は苫野一徳氏提供)
制作:東洋経済education × ICT編集チーム
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