当時の数学者は論争を意外なものと受け止めた
「掛け算の順序問題」が最初に顕在化したのはいつだったのか。『かけ算には順序があるのか』の著書もある算数史家の高橋誠氏は、次のように説明する。
「佐藤俊太郎著『算数・数学教育つれづれ草』(東洋館出版社)によれば、1965年ごろに大阪や神戸で論争が起こったとあります。帰国子女が日本に帰国して掛け算の授業に臨み、式の順序を逆に書いたところダメと指導されたそうです。ただし、あくまでもこのときはローカルな話でした。全国的に大きな話題となったのは、72年のことです。1月26日の朝日新聞で大きく取り上げられました」
朝日新聞が取り上げたのは、大阪府松原市の小学校2年生の算数テストで出された問題だ。「6人のこどもに1人4個ずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればいいでしょうか」。これに対し、答えは合っていたが式を“間違えた”子どもが何人かおり、答えにはマルがつけられたものの、式にはバツがつけられた(ちなみに間違えた式は6×4、正しい式は4×6)。その答案に疑問を感じた保護者が、考えを文書にまとめて学校のみならず大阪府の教育委員会や文部省(当時)に提出したことから、新聞で取り上げられるに至ったようだ。
「実は、数学者の間でも、この論争は意外なものだったようです。数学教育協議会(※1)を率いて、当時の算数・数学教育に大きな影響力を与えていた数学者の遠山啓氏は、著書(※2)の中でこの新聞記事に言及していますが、『この問題の答えとして、4×6だけが正解であり、ほかを誤りとする理由はどこにもない』『理屈がちゃんとたって、子どもがそれを理解してさえいたら、どんなやり方であってもいいのだ。交換法則はまだ教えていないから、それを遣ったのはバツだなどというのは、教える側の得手勝手にすぎない』としています」(高橋氏)
※1 数学教育協議会:1951年に発足した数学教育に関する民間教育研究団体
※2 遠山啓氏のコメントはすべて同氏の著書『遠山啓著作集 数学教育論シリーズ5 量とは何かI』より引用
「1つ分の数」「いくつ分」のメカニズム
一方、この遠山氏は同じ著書の中で興味深い提言をしている。「4×6=4+4+4+4+4+4という意味だとすることにも私は反対である。これはつまり、“かけ算は足し算の繰り返しだ”という定義なのだが、これは適当ではない。この定義で教えると、4×1とか4×0とかいうかけ算がでてくると、戸惑ってしまう」としたうえで、「かけ算は“1あたり”から“いくつ分”を求める計算と定義する」としているのだ(その後、遠山氏率いる数学教育協議会は、「(1あたり量)×(いくつ分)=(全部の量)」と定式化した)。
この「1あたり」と「いくつ分」は、文部科学省「【算数編】小学校学習指導要領(平成29年告示)解説」(以下、学習指導要領解説)や教科書でも出てくる表現である(「1あたり」は「1つ分の数」「1つ分の大きさ」などと表記されることが多い)。学習指導要領の解説では「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」が例に出されているが、この答えを求める場合、「1つ分の数」は「5個」であり「いくつ分」は「4皿」だ。「1つ分の数」×「いくつ分」で式を構成すると、以下になる。
前出の遠山啓氏の主張にのっとれば、この式が「4×5」でも問題ないはずだ。ところが、「1つ分の数」×「いくつ分」の式の順序で考えると、本来「いくつ分」であるべき「4」を「1つ分の数」と捉えてしまいかねない。そうなると、下記のようになる。
5×4でも4×5でも答えは同じ20だが、式の順序を変えると「1皿に5個ずつ、4皿」なのが「1皿に4個ずつ、5皿」となってしまうおそれがあるというわけだ。
なお、学習指導要領解説では「ここで述べた被乗数と乗数(※3)の順序は、『一つ分の大きさの幾つ分かに当たる大きさを求める」という日常生活などの問題の場面を式で表現する場合に大切にすべきことである』と記されている。解釈の仕方によっては、順序を間違えないように指導してほしいと読み取れなくもないが、文科省初等中等教育局教育課程課に取材したところ、返答はこうだった。
※3 被乗数と乗数は「かけられる数とかける数」、つまり「一つ分の数といくつ分」のこと。
「順序がどうというよりも、掛け算がどういうもので、それぞれの数が何を意味しているのかを理解することが大切です。そのうえで、学校現場でどう指導するかは各学校のやり方にもよるでしょうし、児童の状況や理解度を踏まえながらご指導いただく必要があると思っています」(文科省初等中等教育局教育課程課)
バツにせず、注釈を書き込む教員も
では、学校現場ではどう教えているのだろうか。
「私が小学2年生の担任をしていた時は、式の順序が違っていてもバツにしませんでしたし、点数も下げませんでした。バツをつけて保護者からクレームが来るのも嫌だなという意識はありましたね」
そう答えるのは、首都圏の小学校で教鞭を執るA氏。1965年および72年に起きた論争をはじめ、近年も毎年のようにSNSへ答案をアップしているのがたいてい保護者であることを踏まえれば、クレームを恐れるのも当然だろう。ただ、もう少し深く話を聞くと、掛け算の意味を伝えたいという意識を強く持っていることがわかる。
「交換法則もあるので、たとえ順序が違ってもバツにするほどのことではないと思っています。ただし、『1つ分の数』と『いくつ分』で意味が違うのは確かなので、そこは子どもたちに理解してほしいですね。だから、式の順序が違う答えにバツをすることはありませんでしたが、矢印を書き込んで『順番が違うよ』と伝えるようにしていました」
やはり、現場でも掛け算の概念を理解させることが重要との認識はあるようだ。そこで文部科学省に「式の順序だけで正誤を決めるのは避けたほうがいい?」と聞いてみると、次の返答があった。
「『こういう式に当てはめればいい』ということだけを教えると、思考の固定化にもつながりかねませんし、応用問題が解けないことも起こりえます。一方で、『1つ分の数』『いくつ分』といった言葉だけだとイメージしづらいので、具体的な日常生活と掛け算とのつながりを意識しながらご指導いただくことが大事だと思います」(文科省初等中等教育局教育課程課)
半世紀以上にわたって論争に決着がつかないだけあって、「掛け算の順序問題」は一筋縄ではいかないテーマだ。今回取り上げた以外にも、さまざまな歴史的な経緯や数学的な意味、教育上の目的が混在しており、検証するとそれぞれに正当性があることがわかる。
むしろ、順序の正否を問うべきかどうかにこだわるよりも、「小学校教育における掛け算の学び」という観点で、子どもの理解を促すにはどうすればいいかを優先すべきだろう。前出の数学者、遠山氏が1972年の朝日新聞の記事に接したときの所感にも、そうした思いが詰まっているように見える。
「これを読んでまず感じたことは、テストはなんのためにやるのか、という疑問であった。そして、この論争に参加しているほとんどすべて人びとが(原文ママ)、テストの意味について考えていないらしいということであった。(中略)テストをやってバツをもらった子どもは、『おまえはできなかった。だから、そう思え』ということだけで放り出される。バツになった理由を子どもが納得できた場合には、まだよい。しかし、子どもがなぜバツをつけられたのか納得できなかったときには、先生に対して不信感が生まれるだろうし、算数がきらいになってしまうこともあるだろう」
半世紀近く前に発せられたこのメッセージには、子どもに教える際にとるべきスタンスがすでに示されているといえよう。文科省の「具体的な日常生活と掛け算とのつながりを意識しながらご指導いただくことが大事」という提言と併せて、掛け算を子どもに教えるときに意識すべきポイントといえるのではないか。