経済産業省がGIGAスクール構想の推進に強く関与してきたのは、「EdTechを提供する教育サービス業の振興のため」といわれることも多い。しかし、「核心は別のところにある」と経済産業省 商務・サービスグループ サービス政策課長で教育産業室長を併任する浅野大介氏は言う。

個別最適化学習と、教科横断的なSTEAM教育に重点

「要は、学校教育が大きく変わるきっかけをつくりたいのです。経産省が教育に関わる理由は2つで、まず学校教育の出口である社会・経済・産業は人的資本の質に左右されるから。そして民間の教育サービス業を所管する省庁でもあるからです。この2つの顔を持っていることが、私たちが学校教育と民間教育の垣根と、学びと社会の垣根を越える教育イノベーションに取り組む理由です。その成果を受け取る子どもたちの伸びやかな知性が育まれれば、社会も経済も持続的発展に向かう。私たちの目的は非常にシンプルです」

経済産業省 商務・サービスグループ サービス政策課長(兼)教育産業室長 浅野大介(あさの・だいすけ)
2001年入省。資源エネルギー、貿易・物流、危機管理、知的財産、地域経済等の業務を経て、16年大臣官房政策企画委員としてサービス政策と産業保安政策の部局再編を担当した際に教育産業室の発足を企画。17年より大臣官房政策審議室企画官と教育産業室長を兼務し、2018年より現職。「未来の教室」プロジェクトや各省連携での「GIGAスクール構想」の推進を通じて、教育産業やスポーツ産業を起点とした社会イノベーション創出を進めている

2021年4月、ついにGIGAスクール構想により「1人1台端末」環境が、全国のほとんどの小中学校で整備された。経産省では、この「1人1台端末」の本格活用を見越して、18年から時代の変化に合わせた新しい教育を構築するための道しるべとなる「未来の教室」実証事業を推進してきた。

1人1台端末とEdTechを徹底的に活用し、数理や言語などの基礎を効率的に習得する「個別最適化学習」を実現し、それによって生み出された余裕時間を実社会での問題発見・解決に生かす教科横断的な「STEAM(Science、Technology、Engineering、Arts、Mathematics)教育」に充てること。そこに教育現場をいざなうことが「未来の教室」実証事業の狙いだ。より社会や企業に近い経産省らしい発想である。

この実証事業は、「未来の教室」ポータルサイトや「未来の教室」通信というニュースレターで、具体的な取り組み状況・成果を紹介している。ポータルサイトは「EdTechライブラリー」「STEAM Library」などのカテゴリーに分かれているが、「EdTechライブラリー」は「未来の教室」実証事業で使用され、学校でもEdTech導入補助金を活用して1年間試用できるEdTechサービスを紹介。「STEAM Library」は身近な社会課題や生活課題をリアルに感じて考えてもらうための入り口となる動画教材を作成して、無料公開している。

好事例が続出する「未来の教室」実証事業

すでに成果を上げている実証事業も数多くある。学びのSTEAM化では、明蓬館高等学校と鹿島朝日高等学校という広域通信制高等学校に通う生徒約20人を対象に行った「エシカルハッカー発掘・育成プログラム」が好事例に挙げられる。

ソフトウェアのデバッグ・テストサービスを展開するデジタルハーツの社会人向けサイバーセキュリティー研修を、高校生のキャリア教育向けにカスタマイズし、オンラインで全3回の授業を展開するというものだ。カスタマイズを担当したのは、年間140以上の高校などに進路選択支援を行っているハッシャダイソーシャルだ。

参加したのは、ゲームが好きな生徒たち。能力の偏りが大きく、平均点主義・減点主義では埋もれがちな才能を発掘し、自分の好きなこと・得意なことで突き抜けて、社会で活躍するロールモデルを作ることがこの実証事業の意図するところだ。その背景には、圧倒的に不足する情報セキュリティー人材という社会課題がある。

「参加した高校生は、通算ゲーム時間がすでに1万5000時間を超えるようなゲームにものすごく強い生徒。それには訳があって、彼らの中には発達障害を持つ生徒も多かったのですが、非常に高い集中力があり、かつゲームの穴、つまりここを突けば勝てるというところが見えているわけです。授業で課題に取り組んでもらうと、『ちょっと鍛えたら即戦力』とプロが舌を巻くほどの生徒も全体の3分の1くらいいたわけです。彼らには、1つのことを突き詰めていく中で培った能力を磨き、ほかの知識とつなぎ合わせてさらに可能性を広げてほしいです。サイバーセキュリティー以外のデジタル関係の仕事に転用できるかもしれず、好きを仕事にして自立できる可能性に気づいてもらえたらと考えてます」

自分の好きなこと・得意なことで突き抜けて、社会で活躍するロールモデルを作る実証事業の背景には、情報セキュリティー人材の不足という社会課題がある

学びの個別最適化については、全日制普通科の長野県坂城高等学校のケースが注目を集めている。同校は「未来の教室実証事業」に採択され、19年2学期、1年生を対象に苦手な単元をさかのぼって学習できるAI教材を数学、英語、国語の3教科に導入した。

同校には、学力面で幅広い生徒が入学してくる傾向があることに加え、中学時代に不登校や別室登校、発達障害といった課題を抱えていた生徒も通っている。そこで、このAI教材「すらら」を使うことで、自ら主体的に個々のペースで小中学生時代に積み残してしまった単元に戻って学び直す「個別最適化学習」が可能になった。

また、教科学習の効率化によって生み出された時間を活用して「地元企業の未来を作るアイデアを提案するフィールドスタディ」というSTEAM教育の実証も進めることができた。協力企業はマイナビとトモノカイだ。同校は卒業後の進路として就職を希望する生徒が多いため、地元企業と深く関わり、主体的に考え課題に取り組める社会人へと成長するプロセスが重要になる。そんな実情があるからこそ俎上に載せたプロジェクト学習だ。

実際にこのフィールドスタディでは、生徒たちが企業を訪問し、インタビューを行う。質問項目は、メンター役の大学生の力を借りて綿密な事前調査を行い、グループで議論を重ねて練り上げるという。

「質問する側の『問いの質』がよければ、答える側のフィードバックの中身もまったく違ってくることを生徒たちは身をもって学んだと思います。コミュニケーションの妙というか、人と話す前に端末を使って事前に自分で下調べすることの重要性を高校生が学んだよい事例です。『自分もやればできる』という自己効力感を手にした生徒たちの変化を目の当たりにして、先生たちのICT活用への姿勢も大きく変わりました。坂城高校は、地方のスタンダードな公立校で、こうした面白い物語が全国に広まったらいいなと思います」

標準授業時数と教員免許も教育改革のターゲット

経産省に教育産業室が立ち上がった17年当初、同省は教育改革に向けて3つの重要な論点があると考えていた。「1人1台端末を日本の学校の標準にする」「個別最適化と相いれない標準授業時数の制度を改変する」「教員の多様性を高めるため教員免許制度を抜本的に見直す」だ。1人1台端末が実現した今、残り2つの課題の早期解決に向け動き出している。

「個別最適化とは、一人ひとりの生徒が学習ログと個別学習計画を手に、お互い励まし合いながらパーソナルトレーニングに取り組む学校づくりです。これはスポーツと似ています。しかし、科目別、学年別に決まっている標準授業時数は、教師が授業を一定時間行えば、理解していようがいまいが教育を修了したと見なします。学習者を中心に考えたら、それはフィクションでしかなくて、その設計自体を変える必要はないのか、ということです。

これは、GIGAスクールの環境を生かして、ギフテッドと呼ばれる異才の子や、発達障害を持つ子、教室の雰囲気や授業デザインになじめない子も含め、すべての子が自分に適した環境を選んで安心して学べる学校をどうデザインしようという話。さらに言えば、そろそろオルタナティブスクールも学校と認めないのかとか、『学校らしくない、すてきな学校』がどんどん生まれてくる仕掛け作りといった次のステージにもつながっています。

また教員免許については、21年度から小学校で35人学級が始まり、いずれ中学校にも広げるとしていることから、教員不足が懸念されます。現行制度では、例えば博士号の取得者で専門分野を極める経験をした人でも、発達心理学や認知科学の基礎を理解して教育実習さえ終えたら教壇に立てるような仕組みではありません。大学の教職課程を経て23歳で教職に就くという画一的なキャリアパスだけではなく、多様なバックグラウンドを持った人たちが常勤、非常勤を問わず学校現場に入ってきて、大学生のティーチングアシスタントもたくさんいる多様性を学校の中で実現できないか。ドラスティックな改革を文科省に期待しています」

GIGAスクール構想という国家プロジェクトは「省庁連携」がポイントだ。「視点や価値観の異なる人の交わりがイノベーションの源泉と言いますが、政策も1つの省庁だけで作ると必ず限界が出ます。『教師の職人技、集団の力』を大事にしてきた文科省と、『教師とデジタルの融合、個々の学習者に適した学習環境』に力点を置く経産省が交わることは、教育改革の最適解を探し出すうえでとても重要なこと」と浅野氏は見解を示す。いったいどんなイノベーションが生まれるのか。今後の展開に注目したい。

(撮影:今井康一)