日本人が知らない「リバタリアン大統領」の真価、ハビエル・ミレイはアルゼンチンをどう変えたのか
1985年には生産手段の50%が国有化され、インフラは電気・水道の使用時間が制限され、この時期は電話も買えなくなった。「社会保障」や「補助金」を政治利用し、支持基盤を固める慣行もこの時期に確立されたという。1989年までのアルフォンシンの任期中の累積インフレ率は66万4,801%にのぼった。
アルゼンチンに必要なのは「文化の戦い」
このアルフォンシン政権時代に猛威をふるったハイパーインフレを目の当たりにしたことが、大学1年生のミレイが経済学者を志すきっかけとなった。それまでのミレイは、1日に6時間以上サッカーを練習していたが、スーパーで1時間ごとに値札が書き換えられる中、女性たちが少しでも安いうちにと商品に飛びつく光景に衝撃を受け、学業に専念することを決意したという。
経済学部では大学院まで当時最も一般的だったケインズ経済学などを学び、自身は新古典派のマクロやミクロの経済学、経済成長論を教えていた。だが2013年に成長の理論を研究する過程でマレー・ロスバードの『人間・経済・国家』の中の「独占と競争」という論文を読んだとき、「今まで市場構造について教えてきたことは、すべて間違っていた」と衝撃を受けた。
ミレイは、中央統制ではなく、市場による調整機能にゆだねることが効率化をもたらすとするオーストリア学派に心酔。その週末には、書店でオーストリア学派の本を20冊以上購入し、翌日また、タクシー代と自分の食事と犬の餌代を除いた手元の現金で買えるだけの本を購入したというエピソードがある。
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