今や錦の御旗となった「実質賃金の上昇」の残念感 抽象的すぎるフレーズ、実現の経路は複雑怪奇

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そもそも人手不足の真偽を問う声もある(『「人手不足」は本当か?データからわかる現実とは』齊藤誠・名古屋大学教授)。

詳細な解説は省くが、好業績が伝えられる日本企業にあっても、国内市場における労働需要はさほど抱えておらず、それが労働分配率の低迷に直結しているという考え方はある。実際、経常収支の黒字構造が示す通り、主戦場は海外市場なのだから、国内市場の人やモノにお金をかけないという姿勢だったとしても驚きはない。

こうした議論を踏まえると、結局、実質賃金を構成する交易条件と労働分配率を改善させる解決策が見当たらない中、そのカギは労働生産性に託されてしまう。「労働生産性の引き上げが成長のカギ」という恒例の掛け声である。

「生産性向上で成長」は堂々巡り

これについては門間一夫氏(みずほリサーチ&テクノロジーズ エグゼクティブエコノミスト)の論考でも指摘されているように、正しいようで何も言っていないというのが実情に近い。

一国の経済成長(産出)は「産出≒投入(労働・資本)×生産性」で定義される。投入は人口動態でおおむね規定されるとすれば、当然、生産性が産出(成長)を左右することになる。

つまり、「成長を高める」と「生産性を高める」がほぼ同義という話である。門間氏の「生産性を語ること自体が非生産的」という指摘は極めて説得力がある。

また、時間当たり実質GDPで測った生産性で見れば、水準としても、伸び率としても日本は劣後していない。他のG7諸国を圧倒的に追い抜く高い生産性を実現しなければ、「生産性主導で実質賃金を押し上げる」という現象は実現しない。

また、門間氏も指摘するように、上記式を変形すれば「生産性≒産出÷投入」ということになる。つまり、生産性を押し上げるには産出を増やすか、投入を減らすか、もしくはその両方が必要という話になる。

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