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あの人がいれば 第9回

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どの分野にも、いつまでも折に触れ思い出され惜しまれる故人がいる。その功績のゆえに、あるいは人柄のゆえに。あなたにとって「忘れられない1人」は、誰だろうか。

戦う学者、高坂正堯さん

ジャーナリスト 田原総一朗

たはら・そういちろう●1934年生まれ。岩波映画製作所を経て64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社。77年からフリー。(撮影:風間仁一郎)

国際政治学者の高坂正堯さん(1934~96年)は戦う学者でした。何がすごいって、60年代に保守の立ち位置を取ったこと。高坂さんが論壇に登場した当時は、左翼であることが良心的な学者の証しという時代でした。保守派とあれば「体制のイヌ」と決め付けられた時代ですが、高坂さんは勇敢にも当初から保守でした。吉田茂を評価したのも画期的なこと。あの頃、非民主的でワンマンな人物として否定的に見られていた吉田を、軽武装・経済重点主義を貫いた優れた指導者として高く評価しました。

当時の空気を理解してもらうために、僕自身の話をしましょう。31歳のときに生まれて初めての海外渡航でソ連を訪ねました。首相のフルシチョフが解任(64年)された後の時期だったので、モスクワ大学の学生とディスカッションした折に、「フルシチョフ失脚についてどう考えているか」と聞いてみたのです。すると学生たちは青ざめるし、ガイドからも「政治について触れるな」と厳しく注意された。言論の自由がないんだなと痛感しました。でも僕は日本に帰国して、この事実を言えなかった。もし言っていたら、社会主義を批判する保守反動派として、日本の言論界からパージされたと思う。そんな時代から一貫して保守であり続けた高坂さんというのは、本当に勇気がある学者でしたね。

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