今までになかった「AI技術×ビジネス」の育成

「AI活用人材」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは最先端の技術を追求する研究者や開発者ではないだろうか。しかし、関西学院大学が独自のプログラムで育成するAI活用人材はそれとは異なる。同大学の学長である村田治氏は、その全体像と意図をこう話す。

「Society 5.0の超スマート社会では、ビッグデータをAIが解析し、それを人間にフィードバックする時代。よって、AIが解析したものを社会やビジネス現場で使いこなせる人材が必要です。しかし、日本はその教育がまったくできていません。米国や中国に比べ20分の1のレベル。IT革命のときから日本は遅れていて、ここで何とかしないといけない。

AI活用人材は、①新技術を追求する研究者・開発者、②実際の社会で使えるようシステム開発やデータ分析を手がけるAIスペシャリスト、③AIを活用したサービスや製品を企画し、提供するAIユーザーの3つに分けることができますが、社会で大量に求められているのは主に②と③です。AIを使いこなして社会やビジネスの課題を解決する人材、簡単に言うと営業現場で通用する人材です。本学ではこの②と③の育成を目指して『AI活用人材育成プログラム』を開講したのです」

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関西学院大学が定義する「AI活用人材」(提供:関西学院大学)

こうした観点から、同プログラムは初学者を念頭に置いてカリキュラムや授業を設計し、理系だけでなく文系を含めた全学部の学生を対象とした。パソコンの基本的な操作ができれば受講でき、予備知識がなくても学生たちは段階的に学ぶことができるのが大きな特徴となっている。

もう1つ、先進的なのが、最先端AIのWatsonで知られる日本IBMと共同で開発したプログラムであること。ビジネス現場で即戦力となれるよう、同社をはじめAI活用企業の実務的な視点を取り入れている。また、全10科目はすべて新規開発であり、既存の内容の流用はないという。AI・データサイエンススキルを習得したうえで、PBL(Project Based Learning:課題解決型学習)による実践的な発展演習科目に進むよう体系化されている。

前提として、学生の専攻が学びの柱であり、それをパワーアップさせる武器としてAI活用スキルを位置づけている。単にAIの知識や技術を習得することが目的ではなく、「AI×専門分野」という意識を持ち、AIと何かを掛け合わせて活用することを目指しているのだ。

「文系8割の大学」の強烈な危機感

しかし、なぜ企業と共同でプログラム開発を行ってまでAI活用人材の育成に取り組むのか。その理由を村田氏はこう説明する。

村田治(むらた・おさむ)
1989年関西学院大学経済学部助教授、96年教授。2002年教務部長、09年経済学部長、12年高等教育推進センター長。14年より学長。17年より中央教育審議会委員

「本学は卒業生の生涯賃金が高い大学と言われてきた。年収が高いとされてきた金融関連の就職に強かったためです。しかし、日本の労働人口の約49%が自動化により仕事を失うという衝撃的な研究報告が発表され、実際にAIを導入して一般職の採用を取りやめる銀行が出てくるなど、本学の強みがウィークポイントになりつつある状況に陥りました。

とくに本学は文系学生が8割を占めるので『文系でもAIを理解できるよう人材を育てなければ』と。こうした強い危機感から、日本IBMに協力を依頼しました。政府の『AI戦略2019』も初級レベルを含むボリュームゾーンの教育を重視していますが、本学は先駆けてそこに着手したわけです」

将来への危機感を抱いていたのは学生も同じだったようだ。2019年に同プログラムを開講すると、希望者が殺到。最初に受講する「AI活用入門」の受講枠は、春学期と秋学期で各3クラスの合計6クラス480人だったが、それぞれ2〜4倍の希望者が全学部から集まり、やむなく抽選になった。あまりの人気ぶりに20年は受講枠を900人に倍増したが、さらに希望者は増えて倍率が2〜3倍となり、またも抽選になったという。

「e-Learning化」で学生のニーズに対応

こうした学生のニーズに応えるため、同大学は21年度から思い切った改革に踏み切った。10科目のうち、基盤的な3科目をe-Learning科目として開講することにしたのだ。下図の黄色の3科目が21年度からe-Learningとなる科目で、AI技術やAIアプリケーション開発の基礎とスキル、データ解析、問題解決やマーケティングのフレームワークなどを学ぶ。さらに、22年度には下図の青紫色の科目をe-Learningで開講する予定だ。

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「AI活用人材育成プログラム」の科目構成。緑色の科目は対面型中心となる(提供:関西学院大学)

同プログラムの開発プロジェクトを統括する同大学長補佐で理工学部情報科学科教授の巳波弘佳氏は、こう説明する。

「知識習得と基本的な演習をe-Learning科目とすることで、より多くの学生が受講できます。しかも、教員は高度な演習やPBLに注力できるようになり、個々人に応じたきめ細かい指導で効果の高い教育プログラムが実現できます」

基礎はe-Learningで、ビジネスと直結したPBLなどの実践は対面で行う

実は、同プログラムは、巳波氏を含む数名の教員らによる少数チームが担当しており、大学院生のサポートも活用しながら運営を行っている。この人員でe-Learning科目を整備するのはハードだったのではないだろうか。巳波氏はこう語る。

「大変でしたけど、やはりそこは日本IBMとの連携の力が大きく、充実したコンテンツを用意できましたね。また、コロナ禍で行ったオンライン授業の知見が非常に役に立ちました。例えば、一般的なe-Learningでは講義動画の視聴がほとんどですが、本プログラムではアプリ開発のデモ動画なども用意しています。利点は、学生が自分の理解するスピードに合わせて学べること。わかるところまで戻ったり、同じところを何度も見ることが可能なので、自分のペースで手を動かしながら学びを深めることができます」

巳波弘佳(みわ・ひろよし)
2002年より関西学院大学理工学部情報科学科専任講師、06年助教授、12年教授。14年より学長補佐。専門分野は数理工学。21年4月より工学部情報工学課程教授

また、e-Learning科目では、学生からの初歩的な質問はAIによるチャットボットで即対応できるようにし、解消されない疑問には教員が対応する体制を取るという。AIによって限られた人的リソースを有効活用し、学生の学びの機会を確保するというわけだ。

e-Learning科目ではテストもオンラインで実施する。知識の有無だけでなく開発スキルも評価できる設問にし、AIによる顔認証やランダム出題などの不正防止策も組み合わせ、適正な成績評価を可能にしたという。

学生たちが積極的に動く理由

巳波氏は、同プログラムを通じた学生たちの成長をうれしく思っているという。

2019年に実施したSDGsをAIで解決する高校生向けワークショップ。21年3月には高校生と大学生を対象にオンラインで実施予定

「開講1年目の学生たちから『演習科目の開講まで待てない。今からAIを活用したプロジェクトをやりたい』という声が上がりました。それを機に、人間福祉学部や理工学部の学生のチームが、企業と一緒に福祉関連サービスのAI活用を検討するプロジェクトを立ち上げました。総合政策学部と理工学部の学生が医療関係のAI活用を検討するプロジェクトも生まれています。

また、本学が行っている小中高生向けのAI活用のワークショップでも、運営メンバーを募集するとすぐに30人ほど学生が集まります。今の大学生は、強制力を使わなくても、関心の方向性が合致するようにうまく設定すると、積極的に動くのです。主体的に動き自らも学びを深めていく学生を見ていると、非常に頼もしく思います」

学生たちの学ぶ意欲を引き出すAI活用人材育成プログラム。その導入に当たって留意すべき点を村田氏はこう指摘する。

「本学の目標は、卒業生が『真に豊かな人生』を送ること。そのためには質の高い就労が必要と考え、自分の力で生きていくためのスキルが身に付くプログラムを開発したわけです。日本IBMと組めたことは非常に大きかったと思います。しかし、AI活用人材をどう育てていくかは、その大学の教育理念や立ち位置、学生のニーズによって異なるので、そこをまず明確にすることが大切です」

DX(デジタルトランスフォーメーション)によって産業構造が大きく変わる中、コロナ禍によってそのスピードはさらに加速している。学生だけでなく、社会のニーズにも応えるAI活用人材育成プログラムは、今後さらに存在感を増していくことだろう。

(写真はすべて関西学院大学提供)