――そこからアップフロント(元所属事務所)の支援を得て、単独ライブ1回どころか2月14日のファイナルライブまで含めると20公演に。
斉藤 令和の時代にメロン記念日がまさかこのような形でここまでするとは、再結成に向けてスタートした時点では思っていませんでした。
柴田 おのおのがんばっていたことを認めてもらえたのかもしれません。メロン記念日時代の活動はもちろん、解散後もそれぞれの場所でしっかり生きてきた。だから繋がりが切れず、解散後も気にかけてくださる方たちが事務所にいらっしゃった。やっぱり愛情ですかね。
村田 メロンの10年の活動を通して経た絆のようなものを私は感じています。会社のみなさんとメロン記念日の絆というか、愛情を持って育ててもらったなとずっと感じていて。
私たちはほぼイチからの状態でのデビュー。レッスンを積み重ねてデビューしたわけではなかった。そこから10年も活動できる状態にまで育て上げてくれた感謝がすごくあります。あと自分たちで言うのも何ですが、現役当時にわがままをほとんど言わなかったこともあるかも。
ヲタモダチの誕生から20年
――メロン記念日のファンの愛称である「ヲタモダチ」。名付け親は誰だったんですか。
村田 大谷ですね。ファンクラブツアーで長野に行ったときだと思います。
ツアー最後でメンバーが締めの言葉を言う際に、大谷が「ファン同士で仲良くなってくれてうれしい。お友達になってくれてうれしい」と言いたかったのに噛んでしまって「ヲタモダチ」に。
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