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『IDENTITY 尊厳の欲求と憤りの政治』 『中国の行動原理 国内潮流が決める国際関係』ほか

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個人の尊厳より集団の尊厳 帰属意識が引き起こす混迷
評者・青山学院大学教授 会田弘継

『IDENTITY 尊厳の欲求と憤りの政治』フランシス・フクヤマ 著/山田 文 訳(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)
[Profile] Francis Fukuyama/1952年生まれ。米コーネル大学でアラン・ブルームに、ハーバード大学でサミュエル・ハンティントンに師事。ジョンズ・ホプキンス大学、スタンフォード大学で教授。『歴史の終わり』のほかに『「信」無くば立たず』『アメリカの終わり』『政治の起源』『政治の衰退』など著書多数。

今日の世界の混迷を、「アイデンティティの政治」という流行のキーワードを使って『歴史の終わり』(1992年刊)の著者が読み解く。タイトルと著者名を見ただけで食指が動く。

現代政治の表層をなぞっただけの著作ではない。小著ながら、ギリシャ哲学から始まる西洋思想史を縦横無尽に渉猟し、混迷の本源に迫る。

いま吹き荒れるナショナリズムや各国の国内政治の分断・対立は、一般に「アイデンティティの政治」という言葉で説明されている。根底には、人間が「尊厳」を求め、「承認」を得たいと望む欲求がある。それが近代化を突き動かしてきた一方で、今日の混迷を引き起こしたことが分かる。

誤解の多い「歴史の終わり」の概念だが、著者は人類の制度の最終到達点は自由と民主主義、市場経済であることを示したと、あらためてその意味を説く。92年の著書の最後の数章では、「歴史の終わり」後も「テュモス(気概)」の問題は解決せず、それは対等でありたい、優越したいという願望として現れると論じた。

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